── 宮下さんの「ここが書きたかった」が、主人公たちの「気づき」なわけですね。
宮下 人の心が動き、変わっていく瞬間は、いつでも誰にでも訪れるはずです。それこそが「物語」になり得ると思っているので、その変化の瞬間を書きとめたい一心でいます。
とはいっても、人の心が動く、変わる、そのきっかけを作る外的な要因はそれほど重要ではない気もするんです。それよりも、ある出来事によって心はどう動き、結果、人はどう変わるのか。私にとっては、その内面の変化をきちんと掬い上げられるかが眼目なんですね。
ですから、主人公のキャラクターも、主人公が置かれる状況も、あまり特殊なものにしないよう、心がけています。
── そのせいか、宮下さんの小説は、「劇的な事件は何もない」「淡々とした日常」と評されることも多いわけですが。
宮下 そうなんです。「宮下の小説には何も事件が起きない」と言われる(笑)。確かに、できるだけ特別な出来事のない日常を舞台にしていますが、「実は起きている」と言いたい気持ちもあります。内面の変化って、いちばん大きな事件ではないですか?
── そもそもシチュエーション頼みの小説というか、特別な出来事が物語を動かすような展開は好みではないということでしょうか。
宮下 いえ、一読者としては特殊な境遇や事件に心惹かれる場合も多いですよ。ただ、書く上ではそういう便利さを使わないと決めています。その一点においてはストイックなつもりでいるのです!
たとえば、私の小説の女性たちは、かなりさまざまな職業に就いていますが、特別な何かがなければできそうもない仕事をしていることはめずらしい。コツコツやっていれば誰でもなれそうな、ごくありふれた職業であることが多いです。
私が生まれ育った福井は、女の人が働くのが普通の土地柄なんですね。その代わり、東京で見るようなすごく変わった仕事というのはあまりありません。ただどんな仕事であっても、女性が働く上で感じるさまざまな心情は同じだと思うので、それを拾い上げていきたいとは思っています。
あと、これもスタイルと言えるものかはわかりませんが、なるべく回想を多用しないようにしています。主人公が必要に迫られて回想しているならいいのですが、小説の回想シーンはともすると、状況説明や情報提供がしたくて書かれているように感じられることも多いので、気をつけています。
── ちなみに、宮下さんの小説には、描写力に抜きんでたものを感じます。淡々とした表現の中から、力強く鮮やかな世界が浮かび上がらせる筆力に惹かれるファンも多いようです。「白い足袋」に出てくる故郷の光景は、その土地の婚礼の儀式の描写と相まって見事ですし、「クックブックの五日間」(いずれも『遠くの声に耳を澄ませて』に収録)の朱鞠内湖の光景も幻想的です。
宮下 生まれ育った土地が福井なので、自然には親しみがありますね。石川や富山、島根、鳥取といった近県にも親近感があります。
── 宮下さんは料理の描写もすばらしいですね。「クックブックの五日間」の中に、インタビュアーの女性が、主人公である料理研究家のレシピからお気に入りのものを挙げるシーンがありますが、出てくるメニューがみなおいしそう。「日をつなぐ」(オムニバス短編「コイノカオリ」に収録、角川書店)でも、ヒロインが夫との関係に不安を感じ、自分を保つために豆のスープを煮る。あのシーンを読んでいると、豆の香りが漂ってくるようです。
宮下 ありがとうございます。料理は好きですね。なにせ、私の本棚にある一番多い本のジャンルは料理本です。数えてみたら500冊以上ありました(笑)。
── 宮下さんの書く小説世界では、友達や家族やきょうだいとの関係、恋や仕事や将来についての悩みなどに真摯に向き合い、苦悩するヒロインたちの姿がていねいに描かれますよね。思春期には思春期の、社会人1年生には社会人1年生としての悩みがあるもので、それぞれの世代らしい葛藤を抱えていることが多いです。
中でも、反響を呼んだ『スコーレNo.4』では、骨董品店を営む家族の長女として生まれた、麻子の成長にスポットを当てていらっしゃいますね。
宮下 年子という関係もあって、麻子と妹の七葉(なのは)はとても息の合った姉妹として育ちます。しかし成長するにつれ、麻子は七葉に対して、憧れと嫉妬という矛盾を抱えるようになります。七葉は思っていることをはっきり言えるタイプで、周囲からもすぐに可愛がられる、いわば麻子とは正反対の存在。似たところもたくさんあるのに、姉妹同士の得も言われぬ撞着をこんなにつぶさに描いていいものかと、迷いながら書きました。
── やはり妹さんがいらっしゃるんですか?
宮下 現実では、私には妹はおらず、5歳下の弟がいるだけなんですね。ですから、のちに読者から、「私にも妹がいて、麻子の複雑な心情にとても共感して読みました」とメッセージをいただき、麻子の苦悩と似たような心の軋みを感じた人が一人でもいたことを確認できて、どうにか胸をなで下ろすことができました。
── お店で見つけた雲の絵が描かれた陶片を、麻子と七葉が取り合う場面があります。
宮下 そうそう、七葉は頑として譲らない。そういうときに麻子は<欲しいものをあれだけ欲しいと思える、七葉の心に私は負けている。>と、うちひしがれるんですね。
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