── 麻子は、「○○が好き」と自信を持って言える七葉がうらやましい。
宮下 あれほど強く好きと言い切ることは、簡単じゃないと思うんです。何かが好きだとしても、それが自分の人生にどう関わるのか。それがわからないうちは、気持ちを持て余してしまうだけ。どう折り合いをつけていくのかを見つけることが人生の課題なのかなと思うようになって。
── それが、やがて麻子が持ち前の審美眼を生かして、ある職業に情熱を傾けていく展開へつながっていくのですね。
宮下 現実はそんなに甘くないかもしれませんが、せめて小説の中では、希望があるかたちにつなげていきたいと思うんです。
── 「人生には4つの学校(スコーレ)がある」というコンセプトは、書き始めるときにもうあったんですか。
宮下 そうですね。これはまずタイトルが浮かんで、その4つを何にするかを考える作業から始まりました。家族と、恋と、仕事と。あとの一つは最初の段階では何と決まっていませんでしたが。
── 自分は何者でもない、何者になれるのかもわからないという不安は、若い女性なら避けては通れない悩みですよね。その誰にとっても覚えのある等身大の悩みを、その当時のピュアな感性のままに書けるのも宮下さんの強みだと思います。
宮下 「自分には何があるんだろう。いや、何もないかもしれないじゃないか。」私も10代、20代のころは、そうした心細さを抱えていたことを思い出しました。焦りますよね。苦悩の時代からはずいぶん経ってしまったので、忘れていましたが。
実際、これまではヒロインたちと私自身はとても距離があると思って書いていたんです。むしろ、ヒロインたちがあまりに真剣に悩むので、書いている私が「そんなに悩んでいたら疲れちゃうよ」と声をかけてあげたくなったりしたほどで(笑)。
でも、ずっと自分とは違うと思っていたけれど、実は多分に、自分と重ねて書いていたのだと発見しました。彼女たちと同じように考えてたんだ、と。
── 読んでいてはっとさせられるのは、主人公たちの自分を見つめ直す目線です。封印していたけれど、過去からしっかりと引き継いできた感情が表に出てくる。その瞬間が繊細に描写されているからです。
それが何に起因しているかと思えば、もしや記憶力のよさかなと。
宮下 記憶力はいいかと言われれば自信はないんですが、記憶が妙に鮮明なんですね。たとえば、42歳になったいまも、寝ている間によく記憶が巻き戻されて、朝目覚めるときに大学生くらいの気分で起きることがあるんです。横に寝ている夫や子どもを見て、「あ、この人と結婚したんだ、私に子どもがいたんだ」と本気で驚くことがあります。
── ある意味、装置なしのタイムスリップのような。
宮下 それがとてもうまく行くと、何もかもがリセットされて、締切のプレッシャーとかが飛んでしまうんでしょうね。すごく楽しい気持ちで小説が書けたりする(笑)。何度もないですが。
あと、私には10歳、8歳、5歳と3人子どもがいて、子どもたちと話しているとリアルに10歳だった自分や5歳だった自分の感情が戻ってくることがあります。それは、登場人物たちの心理描写などに役に立っているような気がしますね。
── 当時の感情がリアルに蘇ってくるなんて、やはり記憶力がいいんですよ。
宮下 というか、「あのときこうすればよかった」と思ったことを、私いつまでも執念深く覚えているんです。
── 執念深く(笑)。
宮下 いつでもやり直せるんだよ、取り返しがつくんだよと世間では言われますよね。でも、私にはそうは思えない。違う形でやり直すことはできても、絶対に取り返しがつかないことがあると思っています。
失恋や友達との決別で、そのときはこれ以上ないほど傷ついても、うんと時間が経てば、痛みはするものの少しは薄れていることもあるのもわかります。そういう意味では、取り返しはついているとも言えるけれど、でも傷をなかったことにはできないですよね。違うかたちで傷を修復できたり、新しい関係を作り直せるにしても、してしまった後悔は消えないと思うから。
── とはいえ、宮下さんの小説にはあまり、虚無で終わるものはありません。基本は、主人公たちが未来を信じて肯定していくというストーリーですよね。希望の見えない現代にこそ、もっと読者のもとに届いてほしい小説だと思います。
宮下 そう言っていただけるとうれしいです。
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