書評の楽しみを考える Book Japan

 
 
 
トップページ > B.J.インタビュー > vol.5 普通の人たちの日常におとずれる小さな「気づき」の瞬間 宮下奈都『遠くの声に耳を澄ませて』

普通の人たちの日常におとずれる小さな「気づき」の瞬間
宮下奈都 『遠くの声に耳を澄ませて』

── 麻子は、「○○が好き」と自信を持って言える七葉がうらやましい。

宮下 あれほど強く好きと言い切ることは、簡単じゃないと思うんです。何かが好きだとしても、それが自分の人生にどう関わるのか。それがわからないうちは、気持ちを持て余してしまうだけ。どう折り合いをつけていくのかを見つけることが人生の課題なのかなと思うようになって。

── それが、やがて麻子が持ち前の審美眼を生かして、ある職業に情熱を傾けていく展開へつながっていくのですね。

宮下 現実はそんなに甘くないかもしれませんが、せめて小説の中では、希望があるかたちにつなげていきたいと思うんです。

── 「人生には4つの学校(スコーレ)がある」というコンセプトは、書き始めるときにもうあったんですか。

宮下 そうですね。これはまずタイトルが浮かんで、その4つを何にするかを考える作業から始まりました。家族と、恋と、仕事と。あとの一つは最初の段階では何と決まっていませんでしたが。

── 自分は何者でもない、何者になれるのかもわからないという不安は、若い女性なら避けては通れない悩みですよね。その誰にとっても覚えのある等身大の悩みを、その当時のピュアな感性のままに書けるのも宮下さんの強みだと思います。

宮下 「自分には何があるんだろう。いや、何もないかもしれないじゃないか。」私も10代、20代のころは、そうした心細さを抱えていたことを思い出しました。焦りますよね。苦悩の時代からはずいぶん経ってしまったので、忘れていましたが。
実際、これまではヒロインたちと私自身はとても距離があると思って書いていたんです。むしろ、ヒロインたちがあまりに真剣に悩むので、書いている私が「そんなに悩んでいたら疲れちゃうよ」と声をかけてあげたくなったりしたほどで(笑)。
でも、ずっと自分とは違うと思っていたけれど、実は多分に、自分と重ねて書いていたのだと発見しました。彼女たちと同じように考えてたんだ、と。

── 読んでいてはっとさせられるのは、主人公たちの自分を見つめ直す目線です。封印していたけれど、過去からしっかりと引き継いできた感情が表に出てくる。その瞬間が繊細に描写されているからです。
それが何に起因しているかと思えば、もしや記憶力のよさかなと。

宮下 記憶力はいいかと言われれば自信はないんですが、記憶が妙に鮮明なんですね。たとえば、42歳になったいまも、寝ている間によく記憶が巻き戻されて、朝目覚めるときに大学生くらいの気分で起きることがあるんです。横に寝ている夫や子どもを見て、「あ、この人と結婚したんだ、私に子どもがいたんだ」と本気で驚くことがあります。

── ある意味、装置なしのタイムスリップのような。

宮下 それがとてもうまく行くと、何もかもがリセットされて、締切のプレッシャーとかが飛んでしまうんでしょうね。すごく楽しい気持ちで小説が書けたりする(笑)。何度もないですが。
あと、私には10歳、8歳、5歳と3人子どもがいて、子どもたちと話しているとリアルに10歳だった自分や5歳だった自分の感情が戻ってくることがあります。それは、登場人物たちの心理描写などに役に立っているような気がしますね。

── 当時の感情がリアルに蘇ってくるなんて、やはり記憶力がいいんですよ。

宮下 というか、「あのときこうすればよかった」と思ったことを、私いつまでも執念深く覚えているんです。

── 執念深く(笑)。

宮下 いつでもやり直せるんだよ、取り返しがつくんだよと世間では言われますよね。でも、私にはそうは思えない。違う形でやり直すことはできても、絶対に取り返しがつかないことがあると思っています。
失恋や友達との決別で、そのときはこれ以上ないほど傷ついても、うんと時間が経てば、痛みはするものの少しは薄れていることもあるのもわかります。そういう意味では、取り返しはついているとも言えるけれど、でも傷をなかったことにはできないですよね。違うかたちで傷を修復できたり、新しい関係を作り直せるにしても、してしまった後悔は消えないと思うから。

── とはいえ、宮下さんの小説にはあまり、虚無で終わるものはありません。基本は、主人公たちが未来を信じて肯定していくというストーリーですよね。希望の見えない現代にこそ、もっと読者のもとに届いてほしい小説だと思います。

宮下 そう言っていただけるとうれしいです。



boopleで検索する

お探しの書籍が見つからない場合は、boopleの検索もご利用ください。Book Japan経由でのご購入の場合、Book Japanポイントをプラスしたboopleポイントを付与させていただきます。

booplesearch


注目の新刊

Sex
石田衣良
>>詳細を見る
失恋延長戦
山本幸久
>>詳細を見る
自白─刑事・土門功太朗
乃南アサ
>>詳細を見る
ガモウ戦記
西木正明
>>詳細を見る
怨み返し
弐藤水流
>>詳細を見る
闇の中に光を見いだす─貧困・自殺の現場から
清水康之湯浅誠
>>詳細を見る
すっぴん魂大全紅饅頭
室井滋
>>詳細を見る
すっぴん魂大全白饅頭
室井滋
>>詳細を見る
TRUCK & TROLL
森博嗣
>>詳細を見る
猫の目散歩
浅生ハルミン
>>詳細を見る
さすらう者たち
イーユン・リー
>>詳細を見る
猿の詩集 上
丸山健二
>>詳細を見る
ポルト・リガトの館
横尾忠則
>>詳細を見る
ボブ・ディランのルーツ・ミュージック
鈴木カツ
>>詳細を見る
カイエ・ソバージュ
中沢新一
>>詳細を見る
銀河に口笛
朱川湊人
>>詳細を見る
コトリトマラズ
栗田有起
>>詳細を見る
麗しき花実
乙川優三郎
>>詳細を見る
血戦
楡周平
>>詳細を見る
たかが服、されど服─ヨウジヤマモト論
鷲田清一
>>詳細を見る
冥談
京極夏彦
>>詳細を見る
落語を聴くなら古今亭志ん朝を聴こう
浜美雪
>>詳細を見る
落語を聴くなら春風亭昇太を聴こう
松田健次
>>詳細を見る
南の子供が夜いくところ
恒川光太郎
>>詳細を見る
星が吸う水
村田沙耶香
>>詳細を見る
コロヨシ!!
三崎亜記
>>詳細を見る
虚国
香納諒一
>>詳細を見る
螺旋
サンティアーゴ・パハーレス
>>詳細を見る
酒中日記
坪内祐三
>>詳細を見る
天国は水割りの味がする─東京スナック魅酒乱
都築響一
>>詳細を見る
水車館の殺人
綾辻行人
>>詳細を見る
美空ひばり 歌は海を越えて
平岡正明
>>詳細を見る
穴のあいたバケツ
甘糟りり子
>>詳細を見る
ケルベロス鋼鉄の猟犬
押井守
>>詳細を見る
白い花と鳥たちの祈り
河原千恵子
>>詳細を見る
エドナ・ウェブスターへの贈り物
リチャード・ブローティガン
>>詳細を見る
人は愛するに足り、真心は信ずるに足る
中村哲澤地久枝
>>詳細を見る
この世は二人組ではできあがらない
山崎ナオコーラ
>>詳細を見る
ナニカアル
桐野夏生
>>詳細を見る
逆に14歳
前田司郎
>>詳細を見る
地上で最も巨大な死骸
飯塚朝美
>>詳細を見る
考えない人
宮沢章夫
>>詳細を見る
シンメトリーの地図帳
マーカス・デュ・ソートイ
>>詳細を見る
身体の文学史
養老孟司
>>詳細を見る
岸辺の旅
湯本香樹実
>>詳細を見る
蝦蟇倉市事件 2
秋月涼介、著 米澤穂信など
>>詳細を見る
うさぎ幻化行
北森鴻
>>詳細を見る

Internet Explorerをご利用の場合はバージョン6以上でご覧ください。
お知らせイベントBook Japanについてプライバシーポリシーお問い合わせ
copyright © bookjapan.jp All Rights Reserved.