ヘミングウェイの著書と言えば少年の頃に読んだ「老人と海」の他、2、3作品。そのストーリーもほとんど記憶に残っていない。
これまでに出会い、お世話になった先輩諸氏、兄貴と呼んでよい程の仲になった方々のほとんどが、ヘミングウェイを愛し熟読していた。男2人の長男として育った境遇から、物心がつくと年上の男性にまとわりつき、習い、かわいがってもらった幸せな少年期から青年期を過ごせたが、そんな兄貴諸氏へのささやかな反抗精神。これが私からヘミングウェイの小説を遠ざけ、特に青年期では避けてきた気がする。
そんな私がこの小説を知り、なぜかとても気になった。ストーリーのだいたいはある雑誌の書評から知る事ができた。
しかし、私がこの小説に惹かれた理由は、読み終えてから明確になった。
推理小説仕立てのこの作品は、キューバに今も残るヘミングウェイの邸宅を舞台に、その庭から偶然発見された白骨死体。その謎解きを元刑事補コンデが探偵として依頼される事から始まる。かつてヘミングウェイの信奉者でありながら、今はヘミングウェイへの懐疑的思いをぶつける探偵が、殺人犯はヘミングウェイかも知れない、という仮説を持ち調査を始める。今もキューバに暮し老人となり、記憶も曖昧な当時の使用人や、口を閉ざす友人への聞き込み。コンデの元同僚刑事達のヘミングウェイへの人物批評の数々。あくまで著者の作り出すフィクションの範囲だが、隠された新たなヘミングウェイ像を知る事になる。
文中特に印象的なのは、元同僚の刑事がヘミングウェイを評し「ゲリラになってみたり,共産主義者に肩入れしたり。奴さんのやり方はじつに楽なもんだ。ウィスキーとジンを入れた水筒を腰にくくりつけたゲリラ。クルーザーやら,好きにいきるための金をたんまりもった共産主義者。・・・」と語り捨て、コンデが曖昧に同調もするところだ。
著者レオナルド・パドゥーラと同じ1955年生まれの私は、団塊の世代の最後尾と思ってきた。15歳の多感期に’70年安保や学園紛争を間近に感じ、その本質をほとんど理解出来ず、不完全燃焼のままに終わった世代だ。その後方々に離散して行った当時の先輩達を何人も見て、気楽な革命運動もあったもんだ。と感じた記憶が蘇える。あくまで勝手な思い入れだけど、著者も私と同じような境遇や考えを持っていたのではないか。同世代でこそ感じる何かによって、私はこの小説に引きつけられたのではないかと。
小説はそんな記憶を思い出させながらも、ぐんぐんと引き込んでゆく。そして・・・。私はアーネスト・ヘミングウェイの作品のそれぞれを丁寧に、今の年齢と肉体で読んでみよう、と決めた。