新年である。おみくじは大吉であった。うれしかった。良縁が目前にあるという。でもよく見えない。目下、独り身である。そんな現実に腹が立って、正月はこたつに入って飲んだくれ、ふて寝していた。しかし、こたつでごろごろしていても良縁は来ないこともわかっている。
それはともかく新年早々、真冬なのに何ですが、60年代に活躍し現在も活動中のアメリカのバンド、ビーチ・ボーイズから何をイメージするだろうか?海とか夏のことを陽気に歌っている人たち。「ビーチ」と入っているくらいだし、これが一番多いと思う。でも、ビーチ・ボーイズの中心人物であったブライアン・ウィルソンは、実は内気な性格、曲の中で歌われるようなサーフィンの趣味もなかったという。仲間である。そして本書の作者、ジム・フジーリもブライアンについて、同じ思いを抱いていた。スポーツもダメで女の子にもモテない、暗い少年時代を過ごしていた作者の拠り所は、幼い頃に夢中になって観ていたディズニー映画の作者が住むカリフォルニアで生きるという夢。そこには、ビーチ・ボーイズがいた。
カリフォルニアの輝かしいところは、ひとつ残らず彼らの歌の中に詰まっていた。見事なまでのハーモニーと、きりっとした微笑みがそれを運んできた。彼らはとびっきりクリーンで、人生のすべてを愉しんでいるみたいに見えた。学校、サーフィン、ホットロッド、そして音楽。彼らのつきあっている女の子たちは、完璧な伴侶か、あるいは理想の母親が具現化したもののようだった。カリフォルニア、この国の反対側にはまさに天国が存在しているのだ。
そんな彼の前に、アルバム『ペット・サウンズ』が現れる。1966年12歳の時にリリースされたこのアルバムを、13歳とほぼリアルタイムで聞いた作者は、その完璧な音像と、ブライアンが歌う歌詞の内容に深く共鳴する。
彼の若者としての憂愁や、確信が持てないつらさ(我々はそれをしっかり共有していた)は、その高い、淋しげな声を通して、歌詞を通して、そしてまたサブリミナルなレベルにおいてその精緻な音楽を通して、僕に語りかけてきた。ブライアンが語っているのは「自分は十代であることを好む人間である」ということだった。
作者の感じたメッセージは、何も孤独な少年の独りよがりな解釈ではない。当のブライアン本人も同じような感覚を抱いており、それが『ペット・サウンズ』によって誰というわけでもなく理解されることを願っていた。どのようにしてブライアンは、聴き手に「理解してほしい僕」を伝える事が出来たのか。本書はそれを語り手にして作者の〈僕〉が自身の経験と、アルバムにまつわるエピソードの数々によって読者へと伝える評伝だ。
音楽好きの父親マリーの影響を受けて、音楽にのめり込み、一緒に歌うことを楽しんでいたブライアン・ウィルソンと弟のカール、そして従兄のマイク・ラブの3人。そこにブライアンの知り合いのアル・ジャーディンと、もう一人の弟デニス・ウィルソンが加わってビーチ・ボーイズは結成される。彼らは、サーフィンを題材にした楽曲「サーフィン」のヒットを足掛かりに、1962年大手キャピトル・レコードと契約を結ぶ。デビュー後順調にヒットを重ねていくグループ。その中で、リーダーであるブライアンは曲作りだけでなく、アレンジやプロデュースも単独で行うようになり、音楽家として飛躍的な成長を遂げる。
しかし、ブライアンは多くの問題も抱えるようになっていた。グループにかかる期待を背負って曲を書くプレッシャー。舞台に上がるのが苦手なのに、次々と予定の組まれるコンサート。グループに対してたびたび口出ししてくる、父親マリーの抑圧。そして、音楽面でも人気面でも大きなライバルとなる、ビートルズのアメリカ進出。疲れ果て、精神のバランスを保てなくなったブライアンは、とうとうツアーを途中離脱。帰ってきたメンバーに、今後ツアーには参加せずレコーディング活動に専念すると宣言する。
一時の安息を手に入れたブライアンは、その後2枚のアルバムリリースを挟み、いよいよ『ペット・サウンズ』の制作に取り掛かる。
『ペット・サウンズ』は本人も語っているが、ビーチ・ボーイズというよりも、実質ブライアン・ウィルソンのソロアルバムである。たいしたことのないちっぽけな存在の自分。すぐに落ち込んでしまう心の弱い自分。誰かに愛してほしいと渇望する自分。すべてをさらけだし、殻を破って自分の望む場所へ一歩踏み出したい。『ペット・サウンズ』を産みだす動機となった強い自我は、エゴ丸出しの独りよがりな作品になる危険を伴う。けれどもブライアンは人間としては不安定でも、音楽家としては熟練した我慢強い人間である。完璧な演奏を目指すために腕利きのミュージシャンを招き、一人でではなく別の作詞家とともに自身のメッセージが込められた歌詞を磨き上げる。自分の歌声が曲に合わないと思えば、他のメンバーにボーカルを譲ることも厭わない。
生きていて孤独や疎外感を感じながら、それを誰かに伝えるために多くの人々と協力することができる、そんな矛盾も抱えるブライアンのすべてが詰まったアルバムこそが『ペット・サウンズ』なのだ。
作者の語りは全篇にわたり強い思い入れに溢れているが、それだけではない。周辺人物の証言や、歌詞の解釈・楽曲の構造の分析も盛り込むことで、感情と論理の合わさった迫力のある文章が生まれ、読み手を飽きさせない。その自己完結しているようで読み手のことを常に考えている筆致が意識しているのかいないのか、作者の考えるブライアン・ウィルソン像とそっくりで、ほほえましくもある。
私も本書を見習い、今年は独り身を拗ねるのではなく目前にいるという相手めがけて、あらゆる手を尽くして自分を発信したい。まずは第三者、協力してくれる友達づくりからだ。