スピーディな展開でいいですねぇ、主人公はすでにスプーンと注射器を警察に押収されて、追われているわけですね、必死に逃げてるんですね。いやぁ、ヤク中の人たちってこういう感じなんでしょうね、いつも警察に追われてる恐怖がもう内面化しちゃってるんですね、恐怖が真に迫ってますね。
ヤク中の人たちの世界観ってたんじゅんですね、売人、仲間、警察(=敵)、この三角形なんですね。しかも仲間っていう人たちのなかにも極悪な連中がいるみたいですねぇ。歪んで、ただれて、病んだ人間関係、「麻薬を売るってことは使うこと以上に中毒するものだよ」なんてせりふが出てきます、「自分では麻薬を使わない売人は人との接触中毒になる。(中略)捜査官もこの中毒になる」なんてせりふも出てきます。そしてこの病んだ者たちの三角関係のなかで、疑い、騙し、裏切り、追いかけ、逃げ、しかもかれらの相互関係は、つねにそれぞれの持つ悪夢のような妄想を介して、成り立っているわけです。これ以上嫌な世界って、考えられませんねぇ。
と同時に、とつじょ文明論も現れます、「アメリカは若い国ではない。開拓時代よりもまえから老いぼれ、けがれ、悪に染まっている。邪悪はそこで待ちかまえていたのだ。」ただし、この文明論そのものがまったくもってヤク中の文明論なわけです。
「それからおれはベンウェイ医師をイスラム・コーポレーテッドに雇いいれる役目をすることになった。」バロウスの小説は、いきなり飛躍しますね。とりあえず読み進めてみましょう。「ベンウェイ医師は、自由恋愛とひんぱんな水浴をする者たちに与えられた地域ーフリーランド共和国の顧問として招かれていた。(ベンウェイ医師は)記号体型の操作・調整者で、尋問、洗脳、統制などのあらゆる面に精通している。」
こんなせりふが語られる、「人口頭脳の研究は、内省的な方法による以上に頭脳について多くのことを教えてくれる。西欧の人間は機械装置の形で人間というものを外部化しようとしている。」で、この話が、コカインからはじまる各種薬物が与える知覚の違いについての論へと展開してゆく。まともな人間が読めば、ベンウェイ医師は、『仮面ライダー』の悪の組織ショッカーみたいな印象なんだけど、しかし、この小説は、ジャンキーの立場で書かれているから、薬物に対するリアリスティックな関心がひたすら横溢していて、しかもベンウェイ医師はなんとなく好印象に書かれている。
そしていつのまにかどこまでが妄想でどこからが小説内事実なのかわからない暴走的展開がはじまっている。「ロックンロールに熱狂する若者の愚連隊が、すべての国の街路を急襲。かれらはルーヴル美術館に乱入し、モナリザの顔に酸をぶっかける。動物園や精神病院や刑務所を開放し、水道管の本管を空気ハンマーで炸裂させ、旅客機の洗面所の床をぶち抜き、灯台を銃撃し、エレベーターの鋼索にやすりをかけて細い針金のようにしてしまい、水道管を給水管につなぎ、水泳プールの中にサメやアカエイや電気ウナギや吸血ナマズをほうりこむ。・・・」こんな描写がまだまだえんえん続いてゆくのだよ。いやはや。
そしてそこからさらに物語は、脈絡なさげに、場面を換えてゆく。テレビのチャンネルをザッピングするように。ま、たしかにおもしろいっちゃおもしろい、ある種の、言語が爆裂してゆくようなおもしろさ。そもそもほかにこんな文章書くやつはいない。世界観もいかにも奇矯。とうてい万人向けとは言えないし、今後ともまともに読むやつは世界中で百人以下だろうけれど(?)、しかし特殊なおもしろさはあるねぇ。いや。はや。