1963年8月、ニュージャージー州南の野外会場において、本書の著者グリール・マーカスは初めてボブ・ディランというアーティストの歌を聴いた。「神が味方」という曲である。
その時の印象が、こう書かれている。
『その曲は、その後のディランのいくつもの作品とおなじように、決して消えることのない形で即座に歌のすべてが伝わるというすばらしいものだった』
実はこれ、ぼくが2001年に武道館でボブ・ディランを初めて見たときの印象と、とても近い感じがする。ぼくにもディランが歌いだした瞬間に、彼の表現したいことがなぜか伝わってきたのだ。コンサートにおいて英語の歌詞を理解できる英語力などぼくにはない。しかし印象としては、やはり瞬間的に理解したのだ(理解したつもりになったのだ)。ボブ・ディランという唯一無二のアーティストに魅了されるのに何分もかからなかった。グリール・マーカスもまったく同じだったに違いない。
グリール・マーカスは「ミステリー・トレイン」という名著で知られるロック評論の旗手。そこではロックの評論を通してアメリカという国が語られ、新しいスタイルの評論として評判を呼んだ。(ニューミュージックマガジンを愛読してきた世代には、ちょっと懐かしい名前でしょ)。本書はそのグリール・マーカスが1965年6月15・16日にレコーディングされたボブ・ディランの名曲中の名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」がどのようにして生まれたかについて明らかにした本。当然のごとく、単なるドキュメントではない。当時のボブ・ディランの発言や関係者の証言のほか、ディランの曲が描く世界、そこから透視されるアメリカの真実についても徹底的に論じており、非常に読み応えのある本に仕上がっている。つまり、60年代のアメリカの様子がぎっしり詰め込まれている本、というわけだ。
当時のアメリカはベトナム戦争のまっただ中。「ライク・ア・ローリング・ストーン」が生まれた年、1965年末時点におけるベトナムでのアメリカ軍の駐留数は約17万人であった。また1964年に公民権法が成立したものの、マイノリティ差別は止まず、黒人暴動も発生していた。社会に不安・不満が大きく渦巻いていたなかで、ボブ・ディランはフォークシンガーとして、そのキャリアをスタートさせた。その歌詞の内容からプロテストシンガーとの評判が高まり、60年代半ばにはフォークのプリンスとしてみなされるようになる。しかし、ディランはそのレッテルを嫌い、1965年7月のニューポートのステージからは、アコースティックギター1本でのフォークスタイルとバックに大音量のバンドを従えたロックスタイルの両方で登場。観客にとってみれば、フォークサイドなのかロックサイドなのかの選択を迫られたともいえ、従来からのフォークファンはディランに大ブーイングを浴びせた。(その1965年も含めたニューポートのステージのDVDが、昨2007年末、ついに発売になりました。もちろん、衝撃のそのシーンがハイライトです)。
さらに有名なのは、1966年5月、イギリス・マンテェスターのフリー・トレード・ホールでのコンサート。「ユダ(裏切り者)!」というヤジに、ディランは「そんなことは信じない」と応じ、さらに「きみは嘘つきだ!」と吐き捨て、次いで「大きな音で行こう」とバンドに呼びかけて「ライク・ア・ローリング・ストーン」の鬼気迫る演奏、歌が繰り広げられる、というロック史上に残る伝説的な名シーンだ。ディランはユダヤ人である。
現在では考えられないほど、フォークソングへの支持が強固であり、とくにイギリスにおいては共産党がフォーククラブ組織を運営し、大衆消費者社会の価値観を象徴するポップソングを徹底的に排除していたというのだから、まさに時代を感じさせる。フォーククラブから派遣させた観客はコンサートの途中で席を立つ。そうすることで、コンサートの雰囲気をシラケさせようとしたわけだ。いまからすると、呆れるほかない、という感じでもあるものの、当時、フォーク=社会派、ロック=享楽派といったステレオタイプな捉えられ方が一般的であり、またラジオから聞こえてくるヒットソングが大衆の日々の楽しみのなかで非常に大きな位置を占めていたから、ともいえるだろう。
もっとも、日本人の良くも悪くも、融通無碍なこだわりのなさにしてみれば、何でそこまで、という感じがしなくもない。ヨーロッパ~アメリカ人の、自らの信じる道を行く個人主義の表れなのだろうか。イヤなら聞かなきゃいいじゃないの、って思うでしょ、普通は。
そんなことを考えつつも、ボブ・ディランがそれだけ大きな支持を受けていた、ということの逆証明でもあることは間違いない。だからこそ、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」の与えた衝撃は強烈であり、その後繰り返し、当時の様子がロック伝説として語られるのだ。マーティン・スコセッシ監督の映画「ノー・ディレクション・ホーム」でのハイライトもやはり、このフォークからロックへの転換についてである。そして、そのロックが、ボブ・ディランならではの、文学的な物語性に満ち溢れていたものであったことが、衝撃をさらに巨大にした。ディランは、それまでのおめでたいポップ、ロックの世界に新しい価値観を持ち込んだのだ。「ライク・ア・ローリング・ストーン」では、金持ちであった女の没落からアメリカの未来を暗示するかのような歌詞が力強いサウンドに乗って繰り広げられる。いまとなっては、こういった歌は珍しくも何ともない。ディランがポップ、ロックの世界で表現すべき新しいスタイルを創ったからだ。「ライク・ア・ローリング・ストーン」のビルボードチャートの最高位は1965年9月4日の第2位。その週の第1位はビートルズの「ヘルプ」であった。これは非常に象徴的ではないか。
結局のところ、高校生の頃、ロックバンドを組んでいたディランにとって、フォークからロックへの転換は、表現意欲の拡大に伴う、実は自然な推移であった。有り体に言えば、好きなようにやっただけ、ただそれだけなのだろうと思う。しかしその結果、ロックの変革をもたらしたわけで、その天才ぶりはやはり凄まじい。またこれは、60年代のアメリカといった時代背景なくしては語られないロック神話であり、本書はその神話の中心から周辺までを、これまでのどの本よりも詳らかにした。そういった意味では、60年代のアメリカン・カルチャーについて表わした著作として、定番のひとつになるであろう。