そう、俳句でてくてくとは言っても俳句にテクニックなどいらない。まずは、思いついたことを気楽にのびのびと五七五詠めばいい。そんなことを教えてくれる名著が、この「奥の細道 俳句でてくてく」。しかも、自分たちの余暇を、気の合う仲間たちと洒脱に過ごすやり方(ここでは路上観察)を教えてくれる恰好の指南書でもあります。
用意するものはカメラと自分の体だけ。いいですね気楽で…。
赤瀬川源平・俳号:原寸(作家、美術家)
藤森照信・俳号:照暮(東京大学教授、建築史家)
南伸坊・俳号:南方(イラストレーター)
林丈二・俳号:丈外(作家、デザイナー)
松田哲夫・俳号:哲茶(編集者)
の路上観察学会の五人衆が、1999年7月から2001年1月の間、8回に分けて、「奥の細道」を辿りながら路上観察を実施した成果の本なのであります。
さっそくですが、例えば、私が感心した句。「だんごや食堂」という看板を写した写真があり、「楯岡 昔の屋号で」というタイトル。そして、一句、「甘党なら食べてみたいだんご丼」(丈外)とありました。思わず頬が緩んでしまいました。
実は、私も、下手の横好き。おバカな句を創ろう、競い合おう、そしてバクバク食べて、愉しく飲もうという「馬句馬句会」という句会のメンバーであります。この句会で、「胡瓜」という兼題が出たことがあり、この時、私が考えた句が、「キュウリ好きもしや前世はキリギリス」。更に、芭蕉を想って、「古漬や糠がしみいる胡瓜かな」などとフェイントを掛けながら、本チャン用の一句を、あれこれと捻ったことがありました。
そうそう、この本に出て来る句は、大抵が写した写真がなければ成立しない?ルビ俳句(私の勝手な創作語)。「時代」と書いて「とき」とルビを振る歌の詞のように、写真と一対になってはじめて句と呼べる句という意味であります。
「金城 すだれ柿」の項には、すだれ柿の写真と、その説明文。そして、一句。
「さあ詠めや軒端の柿の誘いおり」(照暮)。作者は注釈で、「詠めや」のところを「食えや」にしてもいい。と書いてありましたが、私は、「食えや」の方が好きかも知れません。
さて、この著作、前口上の次は、出発点の東京は深川の隅田河畔からはじまり、埼玉、茨城、栃木、福島、宮城、岩手、山形、秋田、新潟、富山、石川、福井、滋賀、岐阜の大垣まで、気になる風景を活写し、その説明文を書き、更に、一句という構成になっています。
そして、旅を終えての章では、照暮氏が実にいいことを言っています。
歩き終えてつくづく思うのだが、「奥の細道」の長さにくらべ、五七五はまことに短い。あんなに歩いて芭蕉が作った句は五十一句だけ。五七五にかけると、八百七十字前後。四百字詰原稿用紙でいうとわずか二枚と少し。世界で一番ムダの多い努力をして新しい詞の形式を確立したわけである。
とありました。
自分で歩いて、自分で写して、自分で創り、気のおけない仲間たちとその出来栄えを、芭蕉に負けじと競い合って愉しむ。この本は、そんな大人の風流心をくすぐってやまない、素晴らしい一冊なのであります。
ところで、最後に、「馬句馬句会」で私の創った「胡瓜」の句をご披露しますと、「まっすぐな奴より味なひね胡瓜」。
これ、「天」を2つ、「人」を2つ貰いました。
「えっ、どうしょうもない駄句、もっと真面目に句作しろ!」ですって、ごもっとも、ごもっとも…。
でも、どんな身分のある方、知識人とでも、平らにお付き合いできるのが、この風流の道だとか。まあ、まあ、あまり野暮は言いっこなし、俳句にテクはいらない、テイク・イット・イック(一句)で参ろうではありませんか。