現在、地球に残されている「金」の埋蔵量が、一体どれくらい有るかご存知だろうか。
世界の主要産地で既に採掘されたすべての産金合計は約14.6万トンと見込まれ、その容積はオリンピック水泳競技場の50メートルプールで三杯半くらいである。地球全体に残されている金の埋蔵量としては、あと6万トン程度と推定されるために、上記の50メートルプールでは僅か一杯半弱しか無い事態となっているのだ。
このような状況の中で、年々歳々希少感が増してゆく金の相場は上がり続けており、このところ金地金(インゴット)売買は勿論のこと、骨董品・古美術の小判や金貨、プラチナ貴金属小物などの人気もウナギ登りだという。
さて本題となるが、純金製108.729グラムにして一辺の長さ3センチにも満たない正方形の印面、蛇形のつまみが着いた漢隷書体の白文印影を持った小さな金印。
これが、メインテーマである国宝「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)印」なのだ。
天明四年(1784年)に博多湾の入り口に浮かぶ小さな志賀島で発見されたこの金印は、中学校の日本史教科書にも載っていたので覚えがある方も多いのではないか。
漢の光武帝から下賜されて属国日本国王のお墨付きをもらうという、わが国のアイデンティティの根幹に関わる様な世紀の大発見を巡って、後年に大論争を引き起こした事でも知られている。
これら金印発見の前後の時代背景と福岡藩の事情を挟んで、テレビ番組企画のプランナーとその恋人が、ひとりの儒学者の行動と不可解な出来事の連鎖から真相を解き明かしてゆく・・・。
果たして、国宝金印は本当に志賀島から出土した物なのか
天明四年当時、全国の大名達は硬直した藩政に対し、立て直しの優秀な人材を要職に抜擢するために続々と藩校を開校させていた。しかし、福岡藩では三代にわたる城主の夭折に見舞われ、推進役の相次ぐ不幸に藩校の開設は頓挫。熊本藩より遅れること三年目にしてようやく開校に漕ぎつける。
だが、この時期に儒学者亀井南冥は、既にある藩校を差し置いて明らかに異例な第二の藩校の開校を主張していた。結果は福岡藩四人の重臣の意見は真っ二つに割れ、苦肉の策として二つの藩校が認可、南冥は破格の大抜擢を受ける事になったという。
こうして、藩儒筆頭三百石の名門出の竹田定良が率いる「修猷館(しゅうゆうかん)」と、かたや十五人扶持儒医の亀井南冥の「甘棠館(かんとうかん)」というライバル校の並立が始まった。そして、お坊ちゃんと叩き上げという二つの藩校の館長は、開校当時から学問以外でも悉くいがみ合うのだ。
当然ながら主流の修猷館の方が規模も大きく正統性を主張。また現実には門下生の勢力も修猷館が六百人余りで勝り、甘棠館はその三分の一程度であった。
果たして、劣勢の甘棠館でも後には退けない亀井南冥が勝てる機会はあるか?
福岡藩における奇異な二つの藩校の同時開校。志賀島の金印は、実にこの両校が開校した天明四年の二月、まさにその月に合わせた様な発見だった。
志賀島百姓「甚兵衛口上書」から端を発した島内の叶の崎から出土したという金印。第一発見者の甚兵衛が実在不明であることや発見場所の特定と出土年月日の記載がない鑑定書など、不可思議な事実が浮かび上がってくる。
また発見に関わった人物像も、甚兵衛の後見役の庄屋から郡奉行に至る七人全てが、この亀井南冥と繋がっているという奇妙な関係。
この金印発見劇の以前より、南冥が自身の専門領域で修猷館竹田定良に対する古文辞学の論争を仕掛けるための下工作だったのか。ライバル学者同士の功名争いが絡む金印にまつわる騒動は、印章研究家の第一人者藤原貞幹や文人の上田秋成と大田蜀山人、国学者の本居宣長をも巻き込んだ一大事件となる。
福岡・江戸間は三千里余り、この時代の距離と時間をして異常に早い情報伝達と自説を有利に運ばせる論文のリーク。江戸・大坂・京都在住の学者達にまたがる南冥の周到な根回しと画策はあったのだろうか。文献を基に次々と明るみに出る綿密な考証は、実に知的なミステリーとして舌を巻く展開となっているのである。
因みに、日本では国書に押印されて国威を体現する印鑑として、古代卑弥呼が貰ったとされる「親魏倭王」から、明の成祖が足利義満に下賜した「日本国王之印」や、明治維新で改刻された「天皇御璽」まで、この「漢委奴国王」を含めて七つもの金印が存在していた事実が示され、その印鑑の顛末に触れているところも実に面白い。
この七つの金印の複製印、模刻印、贋作印が入り乱れ、また秀吉の天皇崇拝から「豊臣金印」のように鋳潰されて小判になった挿話など数奇な運命を辿る印鑑達への興味は尽きない。
果たして、福岡市博物館に収蔵されている国宝金印は本物なのか?
本書ではフィクションの体裁を採っているものの、静かな興奮と知的好奇心に満ち溢れた展開は、金印を世襲した大名や貴族をはじめ、江戸期の国学者から明治の元勲やスコットランド人宣教師まで、金印を巡る歴史ゲームに振り回され、翻弄される人達のドラマとしても、日本史の知られざるドキュメントを駆使した第一級歴史ミステリーのエンターテイメントに仕上がっている
今、世界中で従来の歴史観や既存評価を塗り替える新たな考古学的発見や古代史考証がブームとなっているが、本書『七つの金印―日本史アンダーワールド』は、トレジャーハンター的な宝探しの醍醐味や、金印の印影から見え隠れする国家中枢における印鑑と文書管理の裏面史を描く異色作としても是非一読をお奨めする。