先日久しぶりに会った従兄弟から、私が高校生の頃に載った雑誌を偶然手に入れたと言われた。すっかり忘れていたが、確かにそんな事があった。三歳年上の従兄弟は少年時代からロックやジャズが好きで、かつてはロンドンにも住み、希少レコードなどのバイヤーをしていた。今はデトロイト郊外に住みながら、レコードや雑誌のコレクションをしているらしい。帰国後その掲載ページのコピーを送ってくれた。私の雑誌デビューの記憶が鮮明に蘇ってきた。
1971年初夏、当時16歳の私ははじめて購入した、ブルーのスーツを着て新宿に繰り出した。R&Bディスコ/ジ・アザーの開店待ちと仲間の待ち合わせで、ジャズ喫茶/DUGで時間をつぶしていた。待ち合わせより早く着き、一人の私は声をかけられ、カウンターにいる中年男性と雑誌に載る写真を撮らせて欲しいと依頼された。はじめての撮影には心が躍ったが、雑誌名の他は何の紹介や説明もなく、ただ楽しげに話してくれといわれ、撮影は始まり、あっという間に終わった。礼を言われ、掲載誌を送ると言われ住所を渡したが、送られてこなかった。その後掲載ページを書店の立ち読みで見つけた私は、隣の男性が植草甚一とはじめて知り、その無知にまず落ち込んだ。また写った、調子に乗って手にしていた煙草の発覚を恐れ、自ら記憶を封印したのだと納得した。
送られてきたのはスイングジャーナル1971年8月号の「甚ちゃん/62才の若者植草甚一の魅力」と題された、植草甚一氏の特集ページで、私の他にも新宿歩行者天国でヒッピースタイルの若者と番傘をさす写真等が掲載されている。原稿を読んでいるうちに、無性に植草甚一の著書を読みたくなってきた。
なにしろ、「62才の若者」に惹かれてしまったのだ。
植草甚一といえば私達世代はサブ・カルチャーの草分けとして君臨していたと記憶している。現代ならばカリスマと称されているに違いない。とはいえ、私が植草甚一の著書を購入し、読んだ記憶は「僕は散歩と雑学が好き」くらいだ。ネットで検索してみると、2004年に晶文社創立45周年記念として、1976年から1980年に刊行された著書が完全復刊、とある。残念ながら復刊40冊には1970年刊行の「僕は散歩と雑学が好き」がなかったので、まずは「植草甚一自伝」を手に入れた。
自伝といってもこの本は書き下ろされた物ではなく、1973年から1977年に雑誌宝島などに寄稿掲載された12編のエッセイと、「それでも自分が見つかった」という読売新聞に掲載されたエッセイ1編からなる。自伝とすればこの1編がもっとも自伝らしい。
他のエッセイは当時の『今』と生い立ちや思い出話が、繰り返されながら書き進められていて、話は気まぐれに方々に散らばってゆく。でもその散らばりこそが植草さんが目の前で語りかけている様な心地よさだ。幼年時代の話の合間に、六本木のカフェや青山の西洋骨董店、ウンガロのスカーフの話になったり、フィレミニヨンの話が始まるといった具合に。それらに書かれるすべてのエピソードは雑学=博識をベースにした、ありきたりではない、丁寧でやさしい口調で説明されてゆく。
このエッセイ集を読み始め、なかに書かれる『物』や『事』のいくつかは、懐かしく当時を思い出すきっかけになった。しかしそれ以外のほとんどの『物』や『事』は、楽しく今も興味深い事柄ばかりだった。だから、植草さんと一緒に歩いているような気配を伴いながら、あっという間に読み終えてしまったんだ、と思った。