だがやがてその事実を夏枝が知り、陽子ちゃんにつらく当たる…。幸せなときには眠っていた夏枝の残酷さとか意地の悪さが、どんどん表面化していく。
学芸会の白い服をわざとつくらなかったり、給食費を渡さなかったり、卒業生代表で読む答辞を白紙にすり替えたり・・・そのときそのとき陽子ちゃんは健気に「赤い服がすきだからいいのよ」と一人赤い服を着ていき、また「働いてみたいの」と小学生で牛乳配達をしたり、アドリブで答辞を述べる前向きな陽子ちゃんの姿に、ずぶとい子ねとますますいまいましさを覚える夏枝。
そんな日々のなかでも「自分がわるくなったのを人のせいにするなんていやだったの。自分が悪くなるのは自分のせいよ。それは環境と言うことも確かに大事だけれど、根本的に言えば、自分に責任があるとおもうの。
陽子ね。石にかじりついてもひねくれるものかというきかなさがあるの。層雲峡にくるとき、石狩川の上流がきれいだったわ。下流は工場の廃液で黒く汚れているけれど。あれをみても陽子は思うのよ。私は川じゃない。人間なんだ。たとえ廃液のようにきたないものをかけられたって、わたしはわたしの本来の姿をうしなわないって、そう思ってたのよ」と兄・徹に語るような生き方をする陽子だった。
だが夏枝によって「自分が殺人犯の娘だ」ということを知った陽子は自殺を図ってしまう。ラストで陽子の出生の新事実も判明するのだが、そのときに記した遺書は涙なしには読めない。
「現実に、私は人を殺したことはありません。しかし法にふれる罪こそ犯しませんでしたが、考えてみますと、父が殺人を犯したということは、私にもその可能性があることなのでした。
自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われようと、意地悪くいじめられようと、胸を張って生きていける強い人間でした。そんなことで損なわれることのない人間でした。なぜなら、それは自分のソトのことですから。けれども、いま陽子は思います。一途に精一杯生きてきた陽子の心にも、氷点があったのだということを。
私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。この罪ある自分であるという事実を耐えて生きていく時にこそ、本当の生き方が分かるのだという気もします。
私は今まで、こんなに人に赦してほしいと思ったことはありませんでした。おとうさまに、おかあさまに、世界の全ての人々に、私の血の中を流れる罪を、はっきりと『赦す』と言ってくれる権威あるものがほしいのです」。
陽子も自分自身が罪人になり得る存在であるということにはじめは気付かなかった。「自分さえ正しければよい」陽子はそう考えた。しかし自分は生まれたときから罪を背負っているということに気付いたとき、敬虔な気持ちになる。
人間にとって、生とは何か、人を赦すとは何か、原罪とは何か…日常を慌ただしく過ごすなかで、何か肝心なことを忘れていまいか、考えがまとまらなくても、衝撃の矢のように、胸に突き刺さる一冊である。
またその舞台である北海道の自然を描く情緒あふれる描写も素晴らしく、旭川に行ってみたい…と本書であこがれる人も少なくないだろう。
自殺未遂をし、助かるかどうか死のふちをさまよう…というところで本書は終わっているが、その後を生きる「続氷点」もあわせてオススメである。