最近、さかんに70年代を描いた本が出るようになった。団塊世代の青春時代には多くの変革が起こった、それと価値観の変化を伴った豊饒の時代? であったからだろうか。多様なテーマが掘り起こされて70年代カルチャー本は何冊も誕生している。
この本も、そうした傾向の中の一冊。書店でなにげなく手にしたのだが、一気に読了してしまった。当時、『POPEYE』誌の編集者であった著者の回顧録のようなもの。あえて言えば名文というわけでもないのになぜだろうか。著者は当時のもつれた記憶をほどくように、バックナンバーを手元におき、ひとつひとつの出来事を懐かしむように書いたに違いない。そうした行動は、引越し中に本を整理しながら、いつの間にか読み始めて、思わずページの中に引き込まれていく行為と似ている。
雑誌『POPEYE』が誕生したころ、ぼくは他社の編集者として、やはり雑誌づくりに夢中になっていた時期だった。そこでは、この本に登場する何人かの人たちとも、仕事を共にしている。そのようなこともあって、思わず自分の青春時代を思い出しながら、ついつい引き込まれていったのかもしれなかった。
『POPEYE』の誕生するきっかけとなったのは、平凡企画センターから生まれた『SKI LIFE』('74読売新聞社刊)や『Maid in U.S.A』('75読売新聞社刊)だった。さらに『POPEYE』以降も、そのまま『BRUTUS』の創刊のつながるという一連のウエーブでの出来事だ。そうした'76年から'81年にかけて梁山泊のような編集部の熱気が描かれている。
冒頭の部分は『小説新潮』に書かれたものだが、ほかは書き下ろし。当事者のインサイドレポートでもあるのだが、頭領“宋江”にあたる木滑編集長(ぼくたち他社の人間も尊敬の念もふくめてキナさん、と呼ばせていただいていた)が平凡企画センターから行動を共にした石川次郎副編集長をはじめとする平凡出版(現マガジンハウス)の自由な雰囲気がうらやましい。
「シティボーイのためのライフ・スタイル・マガジンPOPEYE」は、平凡企画センターで誕生した前出の2冊のカルチャーをそのまま踏襲して、これでもかこれでもかというように、アメリカの若者文化を思いっきり誌面にあふれさせていた。
いわく「気分はもう夏」「VANが先生だった」「グアムがつまらない島だなんていったのは誰だ」「The SKI BOY―夏の真っ盛りだからといって油断は禁物。スキーについて真剣に考える時だ」「ワルこそはスーパースターの勲章なのだ」といった具合。“男前”もの、“ワル”もの、“アイビー”ものなど、ヒットした特集は数多い。
こうして、サーフィン、ジョギング、スケボー(スケートボードなのだが、ほとんど省略するのがポパイ流だった)、UCLA、フリスビー、デカラケ(テニス・ラケット)、カウチンセーターなどの目新しいキーワードを登場させ、若者のサブ・カルチャーをリードしていった。
このような傾向は、ぼくたちの本づくりにも大きく影響して、なんでも省略していた時期があった。たとえばラグジャ(ラグビージャージ)、エディバ(エディバウアー社)、コッパン(コットンパンツ)、バナリパ(バナナリパブリック社)、アバクロ(アーバンクロンビー&フィッチ社)、マンパ(マウンテン・パーカー)、ダンベ(ダウン・ベスト)というような調子で、知らず知らずのうちに、ポパイ的スパイスに毒されていったというわけだ。
また雑誌づくりの技術でも、学ぶ(盗む?)ところが多くあった。デザイン、タイトルのつけかた、○○だ―というような断定口調の文体、ナチュラルなざらついた質感の用紙、カメラマン泣かせの小さな写真のあしらいなど、どれをとっても新しい風が吹いていたような気がする。これも、いま思えば70年代という時代の雰囲気なのかも知れない。いい時代を共有しただけでも、団塊の世代は幸せ(ノー天気?)なのかもね。
本書と併せて『雑誌づくりの決定的瞬間―堀内誠一の仕事』(マガジンハウス刊)、小林泰彦『イラスト・ルポの時代』(文藝春秋刊)、北山耕平『雲のごとくリアルに―青雲編 長い距離を旅して遠くまで行ってきたある編集者のオデッセイ』(Pヴァイン・ブックス刊)などを読むと、POPEYE時代がより身近に感じられることだろう。