トゥーサンより10歳ほど年長のオースターは、フランスに留学中、ヌーヴォー・ロマンの影響をシャワーのごとく浴びたことは事実だし、パリのカフェでのベケットとの出会いをとても楽しそうにエッセイに書き留めたりしている。
トゥーサンにしてもフランスにおける彼の版元であるミニュイ社は、サミュエル・ベケット、クロード・シモンといった二人のノーベル賞作家を輩出し、ナタリー・サロート、アラン・ロブ=グリエ、マルグリット・デュラスなどの代表的な作家を抱える、いわばヌーヴォー・ロマンの牙城で、彼が名編集者の故ジェローム・ランドンによって育てられた影響は計り知れないものがある。また、トゥーサンは折に触れて、若い頃もっとも影響を受けた作家としてベケットの名を挙げ、「モロイ」「マロウンは死ぬ」「名づけえぬもの」(ともに白水社刊)などといったベケット中期の傑作三部作がお気に入りだとも語っている。つまり、「ヌーヴォー・ロマン」ないしは「サミュエル・ベケット」が、トゥーサン成長の鍵言葉となっているといっては言いすぎだろうか。 もちろん、彼が「ヌーヴォー・ロマン」、「サミュエル・ベケット」を馬鹿正直に継承したという意味ではない。
ベケットが指向した小説とは、どんなものかといえば、「作中人物の否定」「物語の否定」「真実らしさの否定」であり、つまり我々が知っている小説とはどこもかしこも違っていて、既成概念に捕われた我々の頭では、ナンセンスでしかない。
トゥーサンはベケットの徹底した既成小説への否定を少し弛め、「作中人物の曖昧性」と「真実らしさの欠如」の二つを構成上の柱として残した。「物語」を復権させたことによって、トゥーサンの小説はベケットに較べて格段に読みやすくなった。しかし19世紀の小説にはなかった、「作中人物の曖昧性」と「真実らしさの欠如」を継承することで、ヌーヴォー・ロマンを敷衍しつつ、ヌーヴォー・ロマンの方法に縛られた窮屈さからも解放されたのである。「ぼく」はいくつで、なにをしているかさえ不明なのも、「作中人物の曖昧性」に求めうるだろうし、ビアッジ家を訪ねる目的でサスエロ村にやってきたにもかかわらず、門前でためらい続ける姿も「真実らしさの欠如」と映る。
トゥーサンが取ったこうした方法はある意味、新しい物語の創造を目指してのことだったのではないか。作中人物を固定し、その人物が取りうる行動を真実らしく語ってゆくと、予定調和に満ちた弾力性のない物語に堕してゆくばかりであり、19世紀的小説の物語の限界を超えることは到底できないことになるからだ。そのことに最初に気づいたのは、間違いなくカフカだった。短編「判決」によって、彼は多少人物の輪郭は描いたものの、その行動を常識に照らせばありえない突飛なものにしたのも、新しい物語の創造を指向したからにほかならない。
「ためらい」は確かになにも起こらないけれど、常になにかが起き続け、読者の想像をはぐらかし、肩すかしを加えながら、我々を宙吊りにしたまま思わぬ地平へと運んでいく。その手腕の鮮やかさは、現代文学の担い手のなかでも飛び抜けているといっていい。それもこれも細部を鮮やかに描き出すトゥーサンの散文技術があってのことであり、この希代の文章家はそのリアルな細部を自在に操り、読者を徹底的に翻弄し、想像を超えた楽しみを読者に提供してくれるのである。