社名を出せば日本人(成人)の99%が知っているに違いない大手企業の人事担当者(40代)がこんな話をする。
「新規採用に応募する学生が志望理由を書いてくるのですが、最近の経済状況に触れたところとか、みんなまったく同じ内容であることが多いのです。ウィキペディア(誰でも自由に編集できるネット上の百科事典)からコピペ(コピー&ペースト)して終わり、で平気だからそうなるのです」
大学生の「学力低下」も極まった……と嘆くわけなのだが、このような事情の背景には学校週5日制や、学習内容の削減などを進めた、いわゆる「ゆとり教育」がある――というのが、世間一般の理解ではないだろうか。
「学力低下」と「ゆとり教育」はセットで語られることが多いので、「ゆとり教育」もたかだか10年ほど前に始まったと考えてしまいがちだが、実は学校で教える内容そのものは40年前の1968年の学習指導要領改定(小学校。中学校は翌年)をピークに、一貫して減り続けてきた。「受験戦争」という言葉を生んだ詰め込み教育を転換するのは(やる気と結果はともかく)国策だったのだ。
もっとも、世間的には1998年に改定された現行の学習指導要領(2002年実施)の存在が大きいだろう。小・中学校で学習内容を約3割削減し、小学校の算数で円周率は3・14の代わりに3を使えることにしたり、中学校の理科では「イオン」を教えなくなった。それだけに、現行の指導要領には実施前から異論反論が続出していたのだが、ついに国は「ゆとり教育」に決別を宣言した。2008年3月に文部科学省が告示した新学習指導要領(小学校は2011年、中学校は2012年実施)では、学校で教える内容を40年ぶりに増やした。円周率は3・14に戻り、イオンも復活した。
そういう節目にあって、「ゆとり教育」のスポークスマンを務めた元文科省官房審議官の寺脇さんが2008年1月に出した本のタイトルに「さらばゆとり教育」とうたったのは、象徴的だ。「学力低下」論が勢いを増し、省内で「ゆとり教育」の旗色が悪くなる中で、寺脇さんは2002年、文化庁に転出(現在は京都造形芸術大教授)。メディアはいっせいに「左遷」と報じたものだ。
とはいえ、寺脇さんはここにきて「敗北宣言」をしたわけではない。寺脇さんは本の中で明確にこう書いている。〈共通に学ぶ知識を最低限に抑え、好きなものが見つかった時点で学ぶことを選択し、「好き」を伸ばしていくことができる。これこそまさに文化的な教育である。少なくとも、私はそう信じてきたし、今でもこの考えに誤りはなかったと思っている〉
とりわけ、「ゆとり教育」が「学力低下」と結びつけられることをきっぱりと否定する。2007年4月に約40年ぶりに復活した「全国学力テスト」では、1960年代と同じ問題がいくつか出されたが、今の子どものほうが高得点だったという(例えば、小6の問題で出された「焼く」という漢字の書き取りでは、1964年の正答率が33・8%だったのに対し、2007年は70・9%)。