プロフィールで生年をばか正直に申告してしまったが、後になって、黙ってればよかったかな~とちょっと考えた。が、本書のレビューを出した時点でおおよその年齢はどうせバレるんだから、せめて実年齢より上だと思われないために、残しておくことにした。
本書はつまり、そういう本である。読む側の年齢と、それぞれの時代に聞いてきた音が、ダイレクトに読み方に反映する。なのでこれまたばか正直に昔の恥を書いてしまうが、ワタクシ、11歳でTレックス・ファンクラブに入会しました。その当時、たしか山本リンダが「ウララ~」とかやって大人気だったような気もするので、もちろん同級生の理解なんか得られない。ひとり孤独に(?)ロック道に足を踏み入れた自分が、カッコいいと思っていた。ばかですね、子供って。
そんなところから出発して、あっちへふらふらこっちへふらふら、途中小休止やら長めのブランクなどもはさみつつ、ロックを聞き続けてきた。キャパ200なんていう小さい会場でのギグにも、息子や娘、下手したら孫でもおかしくないティーンエイジャーたちに混じって、いまだに通っている。
そういう私としては、本書に対する第一声は「東郷さん、その節はお世話になりました」である。そして、東郷かおる子という名前を聞いて、「お世話になったなあ」と思わない人には、私は本書を勧めない。私がファンクラブに入会なんかしてしまったころ、片田舎のガキにとっての情報源は、書店で(自意識過剰故)おずおずとレジに出す『ミュージック・ライフ』とNHKFMでたまにやるアルバム全曲紹介、気まぐれに放映される『ヤング・ミュージック・ショー』(テレビの前にラジカセ置いて録音した奴、出てこい!)ですべてだった。Myspaceをちょろちょろっとうろつけば音からメンバーの顔からギグのスケジュールまで全部わかって、挙げ句にバンドから直接、ギグやるよ~、とメールが来て、チケットはネットで5分で買える今とは、情報量にもスピードにも、ものすごい差があったのだ。
東郷かおる子という人は、その数少ない情報の発信元にいた人だった。私たちの飢えを満たしてくれる貴重な存在であると同時に、憧れのミュージシャン(笑)に直接会ってインタビューして、けん玉なんか持たせてしまう、とんでもなくうらやましい存在でもあった。そんな人が、70年代から90年代までに会った印象深いミュージシャンたちとのエピソードを書いている。
カルロス・サンタナ、いい人~とか、リッチー・ブラックモアって、やっぱりヘンな人だったんだあとか、ジョン・フォガティ、偉そうなバンド名付けてるけど、ただのスケベ野郎じゃんとか、明日同世代のロック好きに会ったら、早速話したくなるネタ満載になるのは当然だ。そして、ここが年寄りの情けないところなのだが、各エピソードを読んで笑いつつ、そのバンドの音と当時の自分が、蘇ってくる。ここまでの本稿がレビューと言うより自分語りになっているのは、そういうわけである。
中年ロックファンの自分語りだけではナンなのであえて屁理屈を付けるなら、本書は、ロックとロックジャーナリズムが若かった時代から、「産業」として成立するまでの時代の証言であり、高校を出たばかりの小娘が一人前のジャーナリストになっていく過程の物語でもある。インタビューするはずの音楽評論家氏とはぐれて、冷や汗をかきながら初めての英語インタビューを敢行した若い女の子はやがて、海外取材で他媒体の手助けまでできるベテランになっていく。ジャーナリストの端くれとして言うが、これはなかなかできることではない。
合同取材というのは、時間や質問の制約がきつく、神経を使うものだ。自分の分が終わったら後は知~らない、になっても文句は言えない。こういうところに、草創期から日本のロックジャーナリズムに関わってきた、ある意味日本の音楽メディアを代表してしまった人ならではの配慮が出るのだろう。そして、本書のエピソードには辛口のものもあるが、ミュージシャン本人への決定的な悪口は書かれていない。著者的には好みではない音を出すバンドも、否定はしない。どこかにかわいいところや面白いところを見つけている。ミーハー精神って、愛だなあ、と思う次第。
ところで最後に、積年の疑問。どうして70年代には、来日ミュージシャンへの手土産がけん玉だったんでしょう?