著者はマスコミの世界で活躍してきた、記者生活30年のジャーナリストだった。
これまで『週刊ポスト』のフリー記者を振り出しに、夕刊紙『日刊ゲンダイ』の創刊に立会ってニュース部長として事件を追いかけ、また『日刊アスカ』の編集局長の時は創刊に賭ける意気込みと、123号で廃刊という苦い経験をする。その間、常にニュースの取材現場を歩みつづけて、九段のホテルで発生した「金大中拉致事件」や日米航空機疑惑の「ロッキード事件」の取材に張りつき、今、また再燃している「ロス疑惑」の発端から「JAL御巣鷹山墜落事故」大惨事の現場一番乗りなどの数々の出来事と直接向き合い、日本の1970年代から2000年代の世相を駈け抜けた、言わばフォレスト・ガンプでもあった。
その後、ジャーナリスト大先輩の本多勝一氏との出会いから『週刊金曜日』の3代目編集長に就任し、『買ってはいけない』のミリオンセラーなど貴重な体験や定期購読週刊誌の立て直しの5年間に亘る苦闘で、ストレスと過労により編集畑を離れる事になる経緯が記される。そして過労死寸前までいったマスコミの第一線を捨てて、鬱病と闘いながら家族の支援と地域の人達との交流を経て、俄かよろず便利屋の『ガーデンハウス・猫の手』を立ち上げるまでの半生記である。これまで東京新聞のコラムやテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」でも取り上げられて反響も大きかったので、ご存知の方も多いのではないだろうか。
著者が淡々と書くこのサバイバル・レポートから、人生のリセットを決心する潔さの賜物として、多くのイキイキとした発見や人との出会いの喜びが伝わってくる。また、近隣との接触では遺言状の書き方をはじめ、日常という名に紛れて顕在化しない漫然としたおばさんの心配事やパソコン不具合のおじさんの相談事まで付き合い、便利屋稼業という看板を掲げた先の守備範囲は無限大である事を思い知らされる。実際、近所のグチの聞き役から、口コミから来るリフォームや植木剪定の依頼、家具の修繕から果ては田植え仕事まで、公序良俗と法律に反すること以外は基本的に「断らない」ポリシーなのである。こうして、嘗ての1日24時間「切った」・「張った」・「走った」のマスコミと言うリングから降りて5年、地域密着の生活に視点を移して見えてきた著者にとっての「猫的スローライフの実現」は、羨ましくも何事にも代えがたい自由さがある最高の時間の贈り物となっている事が実感できる。
椎名 誠さんが週刊誌連載中のエッセイで本書を採りあげ、「ハラハラして読んでいくに従って、やがて痛快な文明批評につらなっているのに気がつく」と書いている。
本当のところ『零細起業』が出版されて、人生のメルカトール法とも言うべき展開図が俯瞰できるこの等身大レポートは、ひとたび書店に並ぶや「開業・独立」・「生き方」・「起業ハウツウ」・「自己啓発」・「脱サラ成功」・「業界研究」といった紋切り型ネームプレートのある書棚に整理され、一通りに収まってしまう事態を危惧するものである。同じ時代を共有したボリュームゾーンをひと括りにして、団塊の世代向けという分類も本来は好きではないが、ある種の連帯を感じつつ、嘗て日本が急カーブを切った時代の残像とドップラー効果を見送りながら、この主人公が描く皮膚感覚溢れる肖像画とイキイキとした実験結果を確かめるべく、件の書棚から是非手にとって一読戴きたい。