本書を読む前、私は自転車競技について何も知識を持っていなかった。〈ツール・ド・フランス〉が世界最高峰の自転車競技大会であるということも当然頭に入っていない。もっとも、自転車競走が空気抵抗との闘いであるということはよく知っていた。これは競輪からの知識ですね。田中誠『ギャンブルレーサー』(講談社)は読んでいたからな。行程のすべてで先着争いをするのではなくて、一列に各車が並んでそれぞれが受ける空気抵抗を最小限に抑え、最後の一周まで脚を温存して勝負するのですよね。先行で、追込で、捲りだ。知っていますとも。だが『サクリファイス』で描かれた自転車競技は、そうした競輪レースともまったく違う、チーム競技だったのだ。知らなかった。びっくりしました。
しかし、ここで競技の詳細について触れる必要はまったくない。なぜならば『サクリファイス』を読めば、競技の全容は完璧に理解できるからだ。未知のスポーツ競技やゲームなどを描いた作品で、ここまで内容を把握するのが容易な作品はあまり類例がない。おそるべき解説力だ。しかも説明されているという感じはまったく受けない。主人公の白石誓は、物語のところどころで自転車競技に賭ける思いを語る。それを読むだけで十分、判るのですね。
―どんなスポーツでも勝たなきゃプロとしてやっていけない。だけど、自転車は違う。自分が勝たなくても、走ることができる
―たしかにそう言った。自分の勝利ではなく、だれかのために走ること。それはぼくにとって、どこか自由の匂いがした。
ここで描かれている自転車競技とは、チームプレーのスポーツなのだ。白石は、元から自転車に乗っていた男ではない。高校時代は、将来を嘱望されたスプリンターだったのだ。ある理由から彼は「勝利」を追い求めることに倦怠感を覚えるようになった。彼にとって自転車競技は格好の落ち着きどころだったといえる。白石は個人の栄冠を得る機会を避け、まるで偽善者のようにチームのための捨石に徹する。だが競技に熱中するうち、彼の中には陸上時代とも違った、新たな思いが芽生えてくるのである。
白石の覚醒を、物語を織り成す縦糸とすれば、横糸にはある謎が配されている。白石が属するチーム・オッジのエース、石尾豪に絡んだ問題だ。彼はチームの中では絶対的な存在である。口さがない者は、石尾が自分の地位を守っていられるのは彼がライバルの芽を摘むようなことをするからだとさえ言う。現に数年前、石尾とともに走っていた若手選手が競技中に再起不能になる重傷を負うという事故さえ起きているのだ。石尾について囁かれている噂は真実なのか。孤高ともいえる彼の人格に惹かれながらも、白石の胸中にたちこめた疑念の霧は晴れることがない。
こうした人間模様の間に種が蒔かれ、事件となって芽吹く。すべての謎を解く鍵が、縦糸と横糸の交点に見出される終盤の展開は、実に見事である。ミステリーの結末で与えられるべきカタルシスというのはかくあるべきだろう。主人公の心を解放する決め手となるある記憶、謎が鮮やかに解かれる栄光の瞬間、そして人間の精神の気高さを証明する出来事、この三つが揃えば読者はひたすら唸るしかないではないか。
緊迫感のあるサスペンス小説であり、圧巻の成長小説である。もちろん心からお薦めしたい。ちなみに本書は、2008年に第10回大藪春彦賞を受賞した。大藪春彦賞である。『野獣死すべし』の大藪春彦、昭和30年代に河野典生、高城高と並んで三羽烏と呼ばれ、国産ハードボイルドの先駆者となったあの大藪春彦の名前を冠した賞を近藤史恵が受賞しようとは。当の本人も予想だにしていなかったに違いない。
賞の授与式からしばらくして、作者にお会いする機会があったので、本書を執筆するに至った経緯について質問してみた。特に最初のきっかけが何であったか。ね、知りたいでしょう? 新大藪賞作家は、こう答えたのである。
―あ、それは自転車を買おうと思ったからなんです。
え、自転車を買おうと思ったから?
―そう。自転車を買おうと思って。私、何かを始めるときにはとことん調べたくなるんですよ。調べているうちに自転車競技がおもしろいと判って、だんだんはまり始めまして。
それで小説を書いてしまったと。
―そうそう。
みなさん。全身小説家、小説家に生まれついてしまった人というのは、こういうことを言うのです。