漫才師の松本人志さん(って呼び方はこれでいいのかな)が先ごろ、FMラジオ番組に出演し、いわゆる「硫化水素自殺」が相次いでいることに触れ、
「アホが死んだら別にオレはええねんけど」
という趣旨の発言をしたことが、インターネット上などで問題発言とみなされて、話題になったそうだ。
もとより真意を正確に推し量ることはできないが、メディアで伝えられる発言の経緯を見ると、松本さんは単に「死にたいやつは勝手に死ね」という昔からよくある物言いをしたというより(事実そう思っているかどうかは別)、誰かが硫化水素で自殺をすれば、その他大勢がわれもわれもとばかりに後を追うような、死ぬときまで「流行」に左右される世間のありさまにアホらしさを感じたのではないか、と私は思う。
松本さんの発言を「問題」だと言う人が何を問題視しているのか判然としないが、それよりも、そもそも極端に個人的な行為であるはずの「自殺」にさえ何らかのブーム、つまり社会的な圧力が存在する(数年前は練炭による集団自殺が続発したことがあった)ということ自体、一人一人の人間が生きにくい世の中である証しではないだろうか。
警察庁のまとめによると、2007年の日本国内の自殺者数が3万3093人となり、10年連続で3万人を超えたそうだ。借金や失業といった経済的な理由で死を選ぶ人たちが、自殺者数を大台に押し上げている状況がずっと続いている。つまり、不景気が人を殺しているのだ。
そこで私は夢想にふけってしまうのである。私たちは邪魔さえなければ好きな時間に食べ、好きな方向に歩き、好きな布団で眠りにつける……難しい言葉を使えば「自由意志」を持っていると確信している。が、果たしてそれは本当なのだろうか。
自殺を思い立つ人は、誰もがその人なりの深刻な事情を抱えているに違いない。ほかの誰にも自分の苦悩は分からないと感じ、絶望の淵に立っている。そこで実際に死を選ぶか思いとどまるかは、その人の内心による。が、一方で経済情勢が悪化すると自殺は増える。この事実から何が言えるのかといえば、結局は確率の問題だということだ。人それぞれの深い苦しみや生と死のせめぎ合いも、のっぺらぼうの統計数字に丸め込まれてしまう。
恐らく経済動向を分析すれば、将来の自殺率を計算することも可能だろう。