今でいう「科学捜査」がほとんどなかっただろう江戸時代、人が殺された場合、実際どういう風にして捜査したものか、と思いを巡らしてきた。それに、一部答えてくれる時代小説である。
テレビ「時代劇」では、刺されて死んだ死体に匕首がそのまま残されていることがある。今だったら、凶器から犯行をたぐられることがないように犯人も気をつけるだろう。とはいえ、昨今の現実の事件は、犯人の馬鹿さ加減にあきれるけれど。
現代の警察ドラマであれば、まずは指紋を調べるということになるだろうが、時代劇、時代小説ではそういうことがないし、血液型をどうこうすることもない。指紋を調べる技術がないことは、捜査する側に不利なのだろうか。今も、前科の記録がなければ、指紋そのものは捕まってからの証拠になるだけだ。「頭を使う犯人」であれば、指紋を残すようなことはしないだろう。
江戸の社会では、科学捜査が発達していなくても、よそ者の存在は地域の人の目につくとか、町内社会の人間関係が密で、犯罪人の見当をつけやすかったのか、目撃談やら状況証拠で犯人を捜し出してしまう。テレビ時代劇では、それもかなりいい加減だが。「ピンと来た」で捕まえたりすることさえある。
役人が、「よほど腕の立つ者が斬ったとみえる」などというせりふを吐く時代劇を多く見てきたが、刀の切れ味がいいとして、剣の達人と未熟者が斬った傷がそれほど違うものかどうか。昔から気になっている。達人が切れ味の良くない刀で切った場合はどうなるか、と、意地悪く考えてしまう。
という風に、テレビ時代劇に真面目に取り合うのがそもそも変か? さて、この本では、江戸時代の検屍をどうやっていたかを読ませてくれる。
これまで読んだことのない作家なので略歴を見ると、江戸川乱歩賞を受賞した現役の医師だとある。ほほぉ、それで主人公を検屍官にしたのか、と興味を持ったのでこの本を読むことにした。一冊の文庫本を手にする動機としては、真っ当だろう。現代の検屍官は、すでに小説にもなり、テレビドラマにもなっているから、江戸時代に設定したか?
長年いわゆる「捕物帖」系、「八丁堀」系の時代小説は読んできたが、この本のようにはっきり「検屍」ということを打ち出した作品は知らない。医師が主人公、あるいは主人公グループに医者がいるというようなことはあっても、時代小説で江戸の検屍をどうやるかを詳しく描写しない。
普通に考えると、優秀な同心がいたとして、死体について調べる場合は医学的知識のある者に教えてもらうのが基本だろうし、仕事の中で自分の知識・体験を増やしていくしかないのではないか。医学の知識を持つ同心を用意していた話はこれまで読んだことがない。死体を医師に診てもらって、一応専門家の意見を聞くという場面はしばしば出てくる。いずれにしても現代のような検屍はできなかっただろうと思う。解剖しないわけだから。というようなことを思いながら読み始めた。