いわゆる「空飛ぶ円盤」目撃例がアメリカで新聞報道されたのは、第二次世界大戦が終わった2年後の1947年に起きた「ケネス・アーノルド事件」が発端となっている。ワシントン州で不動産業を営む実業家ケネス・アーノルドが、自家用軽飛行機を操縦して同州のチェハリスからヤキマに向かう途中のレイニア山上空で、高度約9500フィートで飛行している「ブーメランのような形」をした目も眩むような9機の連なる物体を目撃したのだった。
その奇妙な飛行物体を指して彼は、「コーヒーカップの受け皿(saucer)を水面すれすれに投げた時に弾む水切り現象とそっくりに、まるでスキップするように飛んでいた」と地元新聞社に説明、これが翌日の新聞見出しに「空飛ぶ円盤(flying saucer)」という言葉で登場する事となったものだ。
彼以前には公式な目撃情報が存在しなかった点でも、UFO元年を飾る古典的な事件として知られている。この事件を契機に、60年以上経った今も「空飛ぶ円盤」あるいは「未確認飛行物体」と呼ばれる数々のUFO目撃例やエイリアン遭遇事件が全米各地で相次ぎ、現在まで巨大なUFO神話とも言うべき発展・進化を遂げてきている。
常々、UFOは人類最大の関心事であると思われるのだが、あまり周囲からの賛同が得られない上、その種の情報の信憑性に歯がゆさが付きまとうのは何故だろうか。
本書は、二十世紀後半のアメリカ社会において報告されたUFOや異星人に関連する様々な事件を通して明らかにされる、大衆社会の意識変化や流行について一連の流れを発生状況からトレースの上、従来のオカルト的な疑似心理学アプローチとは異なる掘り下げ方での解明を試みている。この様なテーマ性から、いわゆる超常現象として個々のUFO目撃事件の真相を追求したり、異星人の存在の有無を問題にして取り上げるといったマニアックな本ではない。まず、そちらを期待されている向きには物足りないかも知れないが、次々と起こる新しいUFO神話の誕生と変遷ぶりを客観的かつ網羅的に展望し、これらの事件が社会に受容され世間で語られてきた背景とその大衆意識の変化を、新しいUFO神話が生み出されるアメリカ社会の要求の原動力として捉え、それぞれの時代の鏡に映し出された報道・小説・映画・テレビ番組などと同列にフォーカスを当てている。一読すれば、神話のベールをかぶった現実と、そこに内在する神話性を見破る面白さは、類書の及ぶところではない興味溢れる事例と考証に満ちており、また大変な労作である事が判るはずである。
著者の分類に拠ると単にUFO神話とは言っても、アダムスキーに代表される「前期UFO神話」から、エイリアンが登場する「後期UFO神話」を経て、アポロ月面着陸でっち上げ告発やスカイフィッシュなどの「ポストモダンUFO神話群」に至る形成過程は、これまでのUFO神話の社会心理的な背景にあった虚構化・ポストモダン化・ハイパーリアル化・メディア化、そしてバイオテクノロジーの台頭の流れが一定の局面に達し、もはやエイリアンや空飛ぶ円盤が不要になる事態を暗示している。
1973年以後はUFOの目撃騒動や集中目撃が大きく減り、変わって事件の強調点が「アブダクション(宇宙人による誘拐)」や「ミューティレーション(家畜の大量殺戮)」あるいは「UFO墜落事件」へ移行していった神話の変遷は何を物語るのか。
例えば、ニューメキシコ州ロズウェルでの代表的なUFO墜落事件は、1947年に発生した当時よりも1980年になってから二人の作家C・バーリッツとW・ムーアによって発掘され、共著『ロズウェルUFO回収事件』として発表されて以降、非常に強い影響力を長期に亘って及ぼす事になったと言う。
UFO神話を構成する様々な要素は、二十世紀後半に多様化しながら急成長を遂げてきているが、その一つひとつは目撃や発生と同時に直ちに神話に組み入れられたのではなく、それに応じた文化的・社会的文脈をもつ時代を待ってから組み入れられていると著者は分析している。
このように本書『UFOとポストモダン』では、UFO神話における変化の方向性が「新しい都市伝説」となっていく形成過程を踏まえて、文化的・歴史的文脈をテーマに考察し、「文化的イコン」としての空飛ぶ円盤や「エクリチュール(書き言葉)」としてのエイリアン伝説に言及した、アメリカ大衆文化や現代アメリカ文学の研究の一環となっているものである。
最近、日本の国会における質疑応答で「UFOの存在を確認していない」との政府答弁を受け、内閣官房長官が「個人的にはUFOを信じる」と発言して話題になったが、本書の一部は、文部科学省科学研究費補助金若手研究課題という国家支援プロジェクトの「二十世紀後半における自然科学研究の動向と英米ポストモダン小説との関係」に関する研究の成果であるところも大いに興味深い。