なぜ、そんなことをしてしまうんだ? 希和子にもわからない。悪いとわかっている。悪いとわかっていながら、希和子は他人の赤ちゃんを盗んでしまう。実は希和子は、かつてその赤ん坊の父親と不倫関係にあり、希和子はふたりのあいだにさずかったちいさな命を中絶させられた体験をもっている、しかもそれとともに希和子は妊娠できない体になっていた。
だが、理由はどうあれ罪は罪。希和子はすでに罪を犯してしまった。希和子は赤ん坊を抱え、逃亡の日々を生きてゆく。希和子は赤ちゃんを薫ちゃんと呼ぶ、彼女が勝手につけた名前だ。戸籍上の名前は、秋山恵理菜である。希和子は、東京では真実を隠して友人宅に泊まり、名古屋で見知らぬ老女の家に間借りし、大阪ではエンジェルホームという宗教団体に入る。さらに希和子は、そのホームも逃げ出し、岡山から小豆島へわたる。希和子は素麺屋で働き、薫ちゃんは島の人々のなかでのびのび育つ。薫は、すでに言葉を話し、希和子は娘の学校のことを心配しなければならない。戸籍の問題もある。希和子は誘拐犯であり、出口はない。どんづまりである。
第一部のエンディングは薫のモノローグである。「だれもいなかったのに、いきなり知らない人たちがあらわれて、あの人を取り囲んで何か訊いた。あの人はあばれることもしなかったし、私に何かすることもなかった。ただ、私と引き離されるとき、大声で何か言った。私はなにもしていない、とか、その子を連れていくな、とか、そんなことだ。」読者は、彼女のつぶやきに耳を澄ます。彼女はつぶやく、「それから、私はあの人と引き離された。何が起きたのかわからなくて、私は人形のようにかたまっていた。(・・・)車の窓から見た風景はくっきり覚えている。だって、驚いたから。川は私の知っている川よりだいぶ大きかったし、それから建物。背の高いビルが覆いかぶさるようにあって、空がうんと低くなって(・・・)車を降りて、あ、においがなんにもしない、と思った。(・・・)においが消えてしまうと、電気を消したみたいに町の色合いがふっと変わった。泣かなかったと思う。泣くこともできないくらい、こわかった。人や景色ばかりじゃない、においも、色も、知ってるものがすべて消えてしまったから。/このときのことは、今までだれにも話したことがない。」
そこで読者は理解する、四年間の逃亡劇が終ったことを。
さて、第二部はその十七年後、ヒロインはかつての赤ちゃん、いまは女子大生になっている、秋山恵理菜である。恵理菜は、実家に帰された後の家族関係がなんともぎこちなかったこと、実子であるにもかかわらず、よその子のような親子関係になってしまったこと、周囲からいつも、あぁ、あの事件の・・・と徴つきであつかわれ、妙な自意識が育ったこと、それらのすべてを「あの女」のせいであると考え、希和子を憎んでいる。そう、恵理菜は、自分が幼子のときにこうむった出来事が自分を疎外にいたらしめたと考える。恵理菜はすでに当時の報道記事を読みつくしている、自分の幼年時代になにが自分に起きていたのかを知るために。ただし、読めば読むほどリアリティが遠ざかってゆくような、齟齬もまた覚えるのだった。
しかしそんな恵理菜も、エンジェルホームで子供時代を一緒に過ごしたおさななじみの安藤千草と再会することによって、千草の勧めで、小豆島に向かうことを決心する。恵理菜は岡山港のフェリーの待合室に着く、海の向こうに光に満ちあふれた島が見える、そのとき彼女は不意におもいだす、自分が薫ちゃんと呼ばれ、自分が「あの女」に、愛情を注がれて育ったことを。あるいはそれは彼女のトラウマの象徴である幼年時代と彼女との和解の兆しだろうか?
さて、希和子はそのとき…。
この小説は描き出す。海は美しい、たとえ社会が希和子を許さずとも、海は彼女を赦すとでもいうようなまなざしで。胸に染み入るほど、慈悲深いエンディングである。