たぶん、この文章を読んでいる人の中に、南極移住をお考えになっている方はいないと思う。当たり前である。私が9年前に会社を辞め、妻と二人、子ども3人を連れて「オーストラリアに移住する!」と宣言したときは、同僚たちから「やめておいたほうがいいんじゃないか」と助言され、両親には「そんなことやめなさい」と泣いて説得されたが、もしあのとき「南極に移住する!」と口にしていたら、同僚たちからは「あいつ……働き過ぎだったからなあ……」と同情を集め、両親からは息子たちと娘の親権を取り上げる訴訟を起こされていたと思う。南極に住むというのは、それほどフツーの人がやることではないのである。
ところが、世の中には「フツーでない人」がいる。「異常な人」という意味ではなく、「特別な人」である。南極観測隊というのはどういう人が参加するのか、私はこの本を読むまで知らなかったし、実際のところ考えてもみなかったのだが、新進気鋭の科学者たちが、零下数十度の極限状態や、人間による汚染が及んでいない環境で、普通の場所では到底できない様々な実験を行うのである。言ってみれば、宇宙飛行士に科学者が多いのと同じだろう。
そんな特別な人たちの中に、とても料理(特に創作料理)がうまく、無茶苦茶遊び心にあふれたいたずら好きで、とびきり文章が面白い異能のオッサンが飛びこむと、どうなるか。悪戦苦闘とハチャメチャぶりが余すところなく描かれた『面白南極料理人』という本ができあがるのだ。
著者の西村さんは第30次観測隊で南極大陸沿岸部(というか実際は大陸の沖にある東オングル島)にある昭和基地に滞在し、第38次観測隊では内陸部のドーム基地に滞在しているが、この本で書かれているのは主に後者のドーム基地での話である。なぜなら、そちらの生活のほうがずっと過酷だからだ。昭和基地から離れること1,000キロ(雪上車で片道19日の旅!)、標高3800メートル、平均気温マイナス57度。ここまで来るとペンギンなどの生物はおろか、ウイルスも存在しない。南北線が通る前の西麻布を「陸の孤島」などと呼んでいたのが恥ずかしくなるくらいのさびしく、きびしい環境で、西村さんら9人の男たちは約1年間におよぶ越冬生活に入る。
当然、テレビもない。ラジオもない。車も雪上車以外、走ってない。……という吉幾三さんもビックリの究極の過疎地である。キャバクラはおろか、昭和基地にはあるというカラオケさえもない(プロジェクターによる映画上映は可能らしい)。そんな中での「娯楽」と言えば、まずは「食べることと飲むこと」。望郷の念にかられる隊員たちが「あれが食べたい、これが食べたい」と突然言い出す無理難題の数々を限られた材料でつくりあげ、あれこれ理由をつけたパーティーでは垂涎の特別料理が披露される。それらを読むだけで、「パブロフの犬」状態になる。
そしてまた、テレビやカラオケといった「与えられた娯楽」がほとんどない場所では、自分たちで余興をつくりだすしかない。その数々も、一度はやってみたい(でも、一度だけでいい)と思わせるものばかりだ。零下四十度でのソフトボール大会、零下六十五度での五右衛門風呂、ついでに書くと、お湯が変えられず、男たちのエキスを溶かしこんだスープと化した内風呂……。
この本に描かれているのは、知的な科学者の仮面をかぶったファンキーなオッサンたちの合宿所生活である。いやいや、外部との接触を断たれ、身の回りにあるものですべてを解決しなければならないという意味から考えると、『十五少年漂流記』とか『ロビンソンクルーソー』、『トム・ソーヤー』といった、「無人島冒険譚」のほうが近いか。
じつは、著者の西村淳という人は、私の知り合いである。彼が拙著を二冊読んで、「自分と同じ匂いを感じた」とのことで、メールを送ってきたのだ(ちなみに私は毎日シャワーを浴びているのだが)。その文章は、この本と同様、ハイテンションで、ぶっとんでいて、ぶっこわれていて、痛快だった。だが本ならいいが、メールだと、しかも初めてのメールがそれだと、ちょっと引くのも事実である。
私には座右の銘が二つある。一つは「君子、危うきに近寄らず」で、もう一つは「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だ。無視するべきか、返事を出すべきか。安全をとるべきか、挑戦をするべきか。西村さんからのメールが来たときも、二つの座右の銘が壮絶なバトルを繰り広げたが、結局はいつものように後者が勝利をおさめた。もー、君子ちゃん、弱すぎーっ、である。
約一週間後に、著者謹呈の『面白南極料理人』(ただし新潮文庫版ではなく春風社版)が手許に届いていた。表紙を開いて1分後には、私は確信していた。「虎児、ゲット!」と。……やはり、冒険はしてみるものだ。