この右筆初心な人間ではないのだ。
旗本として無事生きていくためには、現在の役職を全うして行くのが一番いいと明確に自覚している。誰かに有力者に付いてしまうことも時に有利だが、その人間が失脚することがあれば一蓮托生になるので、役職の有利さと頭の回転で、無事に世渡りしていこうというしたたかさを秘めている。この人物像がいい。幕府の重要書類を扱う立場にいる人間が間抜けなわけがないし、そこまで出世したについてはなまなかの努力ではなかっただろう。あれこれ策も弄してきたのだ。言葉の端々にそれが読み取れる。
徐々にこの人物が魅力的に思えるようになるところが、書き手の腕だなぁ。
主人公が、その重大事件の顛末に疑問を持つとほどなく、「これ以上深入りするな」と正体のわからない者に脅される。
いいなぁ、こういう「奇を衒わない」展開で書いていけるのは力があるからですよ。時代劇ではおなじみのありようだけれど、ワクワクする。
今以上に調べるなと言われるのは、ここまで調べたことを見張られていたことでもあり、「やはりこの件はかなり怪しいのだ」という確信にもなってしまう。当然、私の推理が正しいんだな、ということにもなる。
むろん主人公は手を引かず、真相に迫ろうとする。どこをどう調べれば記録が残っているか、それを探し出す専門家なのだ。第一、これ以上深入りするなと脅す理由を持つのは誰なのかも知りたい。じりじり正確に核心に迫る主人公。
そうなると、知られてはまずい側は「本気で」殺しにかかる。奥右筆の一人ぐらい、旗本の一人ぐらいいなくなったところでどうということはないとする大きな力を持つ者の配下が襲いかかる。
ここに、「今時、出世の役にも立たない」剣術に明け暮れている旗本の次男坊が登場するわけだ。拍手!!
時代小説で「平均してもっとも悲惨な境遇の人」である、旗本の次男坊は、兄が健在で役職に就き、嫁をもらって男の子が生まれてしまうと、まったく用のない存在になってしまう。他の武家に養子に入ることができればまだしも、その口が見つからないと「ただ飯食い」と罵られる。先にも書いたがこの時代剣術の腕が立っても出世に役立たず、頭脳が抜群という方がまだ役職に就きやすい。その、役立たずの剣術を修めて、かなり腕の立つ旗本の次男坊を奥右筆は自分の護衛に選ぶのである。雇ってやるのだ。仕事も金もない若者に仕事させてやろうという思いやり。この「思いやり」を、思いやりに見せない少し意地の悪い主人公でもある。
こうして、頭の切れる旗本と、剣の使い手である若者という、もう時代劇では「待ってました!」のコンビができあがる。
この二人に対して、二人とも殺してしまえという一派と、こっちに付くなら「役に立つんだから」殺すこともないという一派が現れる。
元々の大きな事件に深く関わっている徳川家の内部事情も影響して、話が深くなっていく。今の将軍を廃して自分が将軍になりたいという徳川家の人物も登場! この権力争いの動きが、奥右筆と次男坊に色々と影響してくる。
強いけれど次男坊の剣の腕がまだ真っ直ぐすぎて、時に危ない目に遭うのが、話のうまいところ。
さらにもう一つ、「かゆいところに手が届くような登場人物」と感心するのは、奥右筆に美しい娘がいるんだ。こうなると、次男坊とこの娘はどうなるか? というのもシリーズから離れられなくなるネタでね。まいった。
とにかく、これは「読まなきゃ!」の一冊。