私たちは21世紀になった今でも、やせ細った手足の、射るような光を目に凝縮させた異大陸の子どもたちの姿を、テレビや新聞で時折見る機会がある。そのたびに私たちは、彼我に別れて生まれ落ちた互いの「運命」を思って切なくなる。だが、それは全くまやかしの見方にほかならないと、著者のスーザン・ジョージさんは30年以上も前に弾劾しているのである。
本の冒頭部分、「はじめに」として、ジョージさんはこう書いている。
〈善意の人びとのほとんどは、マスメディアのおかげで、食糧危機というものを〝宇宙船・地球号〟の上にたまたま生じた自然現象の結果、あるいは本来解決などとうてい及びもつかないしろもの、ないしは後進国がむやみに子どもを増やした天罰、貧乏人自身の意欲の欠如と怠惰の問題だとみているのである〉
え? 違うんですか――と率直に反応してしまう人は、今でも決して少なくないだろう。食糧不足は単なる天候不順や、過剰な人口増加によってもたらされるのではない、それは世界の一握りの人々によって「作り出されている」現象だ、とジョージさんは言うのだ。
例えば、1972年に起こった「大凶作」ではインドやバングラデシュ、パキスタン、タンザニアといった国々で貧しい人々が命の瀬戸際に立たされた。しかし、1972年の世界の穀物収穫量は、過去最大だった前年より1%減っただけだったのだ。
その一方で、米国をはじめとする穀物生産国は農地の3分の1を「休耕」していた。言うまでもなく、過剰生産により穀物価格が下がるのを嫌ったからだ。収穫量が1%減ったなら、口に入るのは99%になる――というのは、理想的(つまり、ありえないということ)な分配が行われる限りにおいて正しい。しかし、実際はたった1%の需給逼迫が、貧しい人々が生きるために欠かせない食べ物の値段を、手の届かない高みに押し上げる。
そのことは、2008年の今、ガソリンの代わりにトウモロコシから造った「バイオ燃料」で自動車を走らせようというばかげた思いつきをきっかけに、世界的に食糧価格が急騰し、各地で食べ物をめぐって暴動が起きている事態を見れば、まったく同じありさまだと分かるだろう。「中国、インドなど発展途上国の需要拡大」「温暖化など気象変動による生産低下」と、さまざまに理屈がつけられるが、商品先物の値動きに目をつけた投機マネーが食糧価格を吊り上げている。結局は、いつの世でも食べ物が金持ちによる金もうけの道具にされている、ということだ。出版されて30年が過ぎた今、改めてこの本を読み返す一つの意義は、そこにある。
やや余談めくが、ジョージさんは7月に北海道洞爺湖で開かれたG8サミットに対するアピール活動のために来日し、それに併せて東京で行った講演で、こう述べている。
「G8は、現在直面している食糧危機についても一切やってきませんでした。これまで貧困だった人に加えて1億人以上の人が貧困層になりました。食糧危機に対する彼らの解決策は、食糧を作るための土地をバイオ燃料のために使うことでした」
そして、ジョージさんは「この人たち(G8サミット首脳)を信じていいのでしょうか」と問いかける。もちろん否、であることは、スーザンさん自身がかつて、この本の中で明確に述べていたことだ。
食糧危機を語る際に欠かせないキーワードは「アグリビジネス」である。農産物の生産、加工、包装、宣伝、流通などすべての部門を傘下に収めている巨大な食品産業(主として多国籍企業)の、貪欲すぎる自己増殖本能こそが、発展途上国に構造的に「飢え」をもたらしている。