『ゴールド・ラッシュのあとで 天辰保文のロック・スクラップブック』は、主にロックとその周辺の音楽について文章を書いているベテラン音楽評論家のハンディなアンソロジー本だ。
世間が音楽評論家に求めるのは、まず第一に音楽や音楽家にまつわる情報だろう。この音楽家はどこで生まれ、いま何歳で、どんな経歴の持主なのか、この作品はどういういきさつで作られ、どんな評価を得てきたのか、といったことである。
しかしこれはもっぱら情報を紹介し、蘊蓄を語った本ではない。そう読める部分もないではないが、それ以上に音楽を聞いて過ごしてきた生活の記録や随想録であり、この本でとりあげられているシンガー・ソングライターの作品のように、著者が長い歳月をかけて音楽とつき合う中から生まれてきた作品なのである。
それはニール・ヤングの音楽に出会った学生時代の回想記「まえがきにかえて」を読むだけでも、たちどころに理解できるだろう。意匠を凝らした文体ではなく、ユーモアをまじえながら訥々と語っていくような文体である。しかしそこからは、情報や美辞麗句をいくら積み重ねても伝わってこない音楽が聞こえてくる。聞いている著者の人柄まで見えてくる。だからこそこの著者の評論には読者から多くの信頼が寄せられてきたのだ。なお、この本のタイトルは、「まえがきにかえて」に出てくるニール・ヤングの名作『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』からとられている。
いまCDが売れなくなって、音楽業界は大騒ぎを続けている。しかしそれは音楽を売上数字や情報に還元し、消費し続けてきたつけが回ってきているのである。
「仰々しく言葉をふりまわす歌が、時代を映し出すとは限らないように、意気揚々と明日を歌うことが、必ずしも明日を照らし出すわけではない」(95ページ)
「音楽を通じての、形のない関係にすぎなかろうと、時代を共有しているという実感が持てる人には、そう多く出会えるものではない。ぼくにとって、ウォーレン・ジヴォンという人は、その数少ない一人だった」(232ページ)
著者がこうした文章で語っているように、大きな声をあげるわけではないが、どんな時代にも、どんなところにも、音楽を必要としている人はいる。それを感じとること、音楽について情報の受け売りではなく自分の言葉で語ること。その重要性をこの本はあらためて教えてくれるような気がする。