きっかけは「ぼくのニューヨーク地図ができるまで」という本だった。同じニューヨークでも、人によってその地図は違うわけで、ぼくのニューヨーク地図はどんな地図かな、と考えてみた。植草さんの地図に出てくるニューヨークの本屋はほとんどなくなってしまった。植草さんがはじめてニューヨークに行ってから30年以上がたっている。植草さんの地図にはなかった本屋が、ぼくのニューヨーク地図にはある。
せっかく読んだのに、「ぼくのニューヨーク地図ができるまで」は今は品切れになってしまっていて、ここでは紹介できないことがわかった。他に植草さんのニューヨークについての本はないかなあ、と思って探してみたら、復刊されたスクラップ・ブック・シリーズにこの「ぼくのニューヨーク案内」があった。
「ぼくのニューヨーク案内」は1974年の春にはじめてニューヨークに行ったときのことからはじまっている。植草さんはこのとき66歳、それまで日本を出たことのなかった想像の旅人は、ニューヨークの路上のアートや、東京の何十倍もの本を扱う古本屋に圧倒される。そして、本や雑誌の批評で読んだことのある演劇や映画より、実際に街で知り合った人々との触れ合いのほうがうんと楽しいということを知る。
植草さんは60年代から「ヴィレッジ・ヴォイス」や「ニューヨーカー」を定期購読していて、ニューヨークに行く前からすでにニューヨーク通だった。日本にいながら、アメリカの新聞や雑誌に載る批評を頼りに、ヴィレッジの小さな劇場の公演を見て歩く。そうするうちに、マクドゥーガルやクリストファーなどの、細かい通りまで書き込まれた地図が植草さんの頭の中にできあがっていく。そうするとそこにどんな人たちが住んでいるのか知りたくなってくる。空想の地図が無人のままではつまらないからだ。そこでまた新聞や雑誌を開いてみるが、そういった記事の中で出会えるのはゲイの絵描きとか横暴な警官とかコールガールとか奇妙な人たちばかりだ。ニューヨークにはそんな奇妙な人たちばかりがいるのかというとそんなことはなくて、本当は植草さんが出会っておもしろいと感じたような、新聞や雑誌の記事では紹介されない、親切なレストランや本屋の店員のような普通の人たちばかりなのだ。そういう人たちに接触するには、実際にニューヨークに行ってみるしかない。
植草さんはまずプラザ・ホテルに宿をとる。プラザ・ホテルは今はコンドミニアムになってしまったが、去年まではニューヨークでもっとも古くて有名な高級ホテルだった(今でも一部分だけホテルとして残されている)。
セントラル・パークと五番街に面していて、高級デパートやロックフェラー・センターなどがすぐ近くにある。そこから植草さんはグリニッチ・ヴィレッジのワシントン・スクエアの近くにあるホテルに移動する。そこで夏までの4ヶ月間に2000冊以上の本を買い集め、8000枚以上の写真を撮った。そして本や新聞の記事には出てこないような、おもしろい人たちとたくさん知り合う。そうやって気の遠くなるほどの距離を自分の足で歩いて、「ぼくのニューヨーク地図」を完成させていった。植草さんはその5年後に71歳で亡くなったが、もし植草さんが今のニューヨークに来たら、マンハッタンだけではなく、ブルックリンやクイーンズにも足を延ばしたのではないだろうか。今や町の小さな古本屋は、マンハッタンではほとんど見かけなくなってしまったからね。