ごぞんじ、ビアトリクス・ポターの『ピーターラビット』シリーズの1冊です。ピーターラビットの妹フロプシーと、いとこのベンジャミン・バニーとが夫婦になり、その間に生まれたいたいけな赤ちゃんうさぎたちに降りかかる受難。そして明かされる「レタスをたべすぎると、『さいみんやく』のようにきく」という衝撃のトリビア。
『ピーターラビット』シリーズ全体を通して見ても、ここに出てくる赤ちゃんうさぎたちの絵は、「可愛らしさ」という点においては屈指の出来です。冒頭の、レタスの根元でひと塊になり、手足をきゅっと縮めて眠っている赤ちゃんうさぎたちを描いた1枚からして、尋常ではない愛くるしさなのですが、ことに27ページの挿絵で、袋に詰め込まれそうになりながら、おひゃくしょうさんのマクレガーさんのてのひらの上ですやすや眠りつづけている赤ちゃんうさぎの、見る者の理性を吹き飛ばしかねない可愛らしさといったらもう!
しかし、そこはビアトリクス・ポターの絵本だけに、ただ可愛い赤ちゃんうさぎたちを愛でてほのぼの、というわけにもいきません。
第1作『ピーターラビットのおはなし』の「おまえたちの おとうさんは あそこでじこにあって、マクレガーさんのおくさんに にくのパイにされてしまったのです」というくだりは、先日逝去した石井桃子氏による名訳と併せてことに有名ですが、このお話に出てくる可愛らしいことこのうえない赤ちゃんうさぎたちも、マクレガーさんの農園のゴミ捨て場に捨ててあったレタスをお腹いっぱい食べて、気持ちよく眠り込んでいるところを、マクレガーさんに見つかって袋に詰めこまれ、危うくピーターのおとうさんと同じ運命をたどりかけます。やはり故石井桃子氏のエレガントな訳文の冴えわたる、マクレガーさんとおくさんのやりとりをご照覧ください。
「かわは わしがうって、たばこをかうんだ!」
「そうよ、うさぎたばこをね! わたしはこいつらのかわをはいで、あたまをちょんぎってやる!」
もちろん、両親のフロプシーとベンジャミン、それから気の利く野ねずみの「トマシナ・チュウチュウ」の活躍によって、赤ちゃんうさぎたちは「にくのパイ」の危機から救われます。しかし、ここちよい熟睡は危険な死に通じ、人類が小動物に対して感じる「可愛らしさ」の感情とは、おそらくは食欲に直結しており、つまりは「おいしそう」と翻訳しうるものである、という真理が情け容赦なくえぐり出されるあたり、やはり一筋縄ではいきません。
そして、そうした苛酷な現実と裏表であればこそ、お腹いっぱい食べたあとの日だまりの午睡のここちよさの描写が、よりいっそう甘美に感じられるのかもしれません。
こどもたちは あたたかい日だまりで、きもちよく ねむりつづけました。やさいばたけのむこうの しばふのほうから、しばかりきの かたかた というおとがきこえてきます。あおばえは、石がきのあたりで、ぶんぶん うなり、小さいとしよりねずみが ジャムのつぼのあいだで、なにかつまみぐいをしていました。
というわけで、「ぐっすり眠ること」の危険なまでの気持ちよさを、深く味わうことのできる1冊です。
小さいお子さんにはやや難しいかもしれませんが、このお話ではからくも救出されたフロプシーのこどもたちが、再び袋に詰めこまれて誘拐され、またしても「うさぎにくのパイ」にされてしまいそうになる『キツネどんのおはなし』は、『ピーターラビット』シリーズの中でも屈指の傑作ですので、ぜひご一読をお奨めします。「キツネどん」と「アナグマ・トミー」という、タイプの違う悪党ふたりの血みどろの確執に加え、サブプロットには老人問題、嫁舅問題を盛り込んだ堂々80ページの犯罪活劇。この他、『ひげのサムエルのおはなし』など、『ピーターラビット』シリーズには、英国古典推理小説の流れを汲む一連の犯罪物語があり、いずれも大人のミステリー読者をも堪能させるだけの出来ばえです。