2000年に中編集『実録・外道の条件』を読んだとき、コミュニケーション不全のやるせなさを描いてこれほど笑える小説が他にあるだろうかと、読書の喜びに打ち震えたのを覚えている。
主人公で語り手のマーチダ・コーは、パンク歌手。この『実録~』の中では、雑誌のインタビューページなどにも登場するそこそこ名の通ったエンターテイナーという設定だ。仕事を依頼してくる編集者や業界人たちと マーチダの会話が一向に噛み合わないことで、泥沼のトラブルが勃発する。
一社会人として、真っ当に寛容に振る舞おうとすればするほど、業界に跋扈する無礼非道の面々から因果な目に遭うマーチダ。その泣き笑いが、超一級のスラップスティック風小説として描かれ、正直、身もだえするほど好きだった。
しかし、本書はあまりに“あるある感”に満ちている。
インタビューに出向いてみたら平然と遅刻してくるスタイリスト、売り出しますと話ばかり大きくてまったく力にならない芸能プロダクションスタッフ、ノーギャラで出演依頼してくる編集者等々、あまりな人物のあまりな振る舞いが延々と続く。ブラックユーモアすぎる筆致ゆえ、まさか続編が読めるとは思っていなかった。
その「外道」シリーズが、8年の歳月を経てリターンズ! 望外の出来事に、紹介せずにはいられない『真説・外道の潮騒』なのだ。
『真説・外道の潮騒』では、マーチダは、パンク歌手以外に、作家としても活躍するようになっている。
そのマーチダに、海外旅行番組の仕事が持ち上がったのが、事の発端だ。
実は海外どころか旅がそもそも億劫というマーチダなのだが、その仕事を持ちかけてきたのが、彼より二回りも年上の著名な演出家、宗田氏。
40代になったマーチダは、自分が歳を取ったとき、年下から大切にされないばかりか疎んじられたりするのは業腹だと、折しもを年長者を敬う「長幼の序」復活キャンペーンを〈率先垂範〉、決めたばかりだった。
仕事を引き受ける気はないが、宗田氏の顔を立て、一応はプロデューサーに会おう、そのときに海外旅行嫌いだと事情を話して断ればいいと、マーチダは考える。とりあえず……と打ち合わせに出かけた先で、「自分の精神の旅」という番組を手がけているプロデューサーの蟇目ヒシャゴと、ディレクターの稲村チャルベのふたりから、“意思疎通不可能”の最初の洗礼、すなわち彼らの〈烏滸の沙汰〉を目の当たりにする。
引き受けることを渋っていたマーチダが、一度はやぶさかではないとなったのは、チャールズ・ブコウスキーを軸にした番組にすると言われたため。マーチダはブコウスキーに関心があった。
しかし、普通、仕事には諸条件がある。スケジュールやギャランティー、もちろん出演する際の内容について双方が折り合わなければおじゃんだろう。
そこで、具体的な話し合いに入ろうとするマーチダとマネジャーだが、ヒシャゴとチャルベの頭の中にはすでに青写真ができていて、打ち合わせというよりは一方的な通達。連絡方法も、電話だと言った言わないの齟齬があるかもしれないから、ファックスかメールでと念押ししているのに、それすらなかなか聞き入れてもらえないのだ。
さらに、自分が思ってもいないのに予定調和的なことをするのはイヤだ、そもそもそれでは「自分の精神の旅」ではなく、「チャルベの精神の旅」ではないかとマーチダがいくら主張しても、ヒシャゴもチャルベも、難しいことは言わず行ってくれればいいんですと繰り返す。
すったもんだの挙げ句、行かざるを得なくなったマーチダは、イヤな予感を抱えながらも、外注マネジャーのナウ橋とともに東京から出発する。ここまでの抱腹絶倒の下りが前半。
後半は、アメリカに舞台を移す。案の定、〈チャルベはまったく一〇〇パーセントアブソルトリー完璧に、人の話を聞いていなかった〉がために、ロサンジェルス、サンフランシスコ、フェニックスと、行く先々でマーチダは、ブコウスキーの名を借りた不毛なコミュニケーションの荒野を歩き、そのつど脱力していくのだ。
マーチダは、本当に根気よく正論の矢を放つのだが、それらはすべてチャルベら業界人たちによってことごとく的はずれな形で切り替えされてしまう。そのプロセスがとにかく可笑しい。
言葉が水泡に帰していく虚しさを、これほどエンタテイメントに徹して読ませてくれる小説はちょっとない。また、それがしっかりと現代の風潮を捉え、シニカルに嗤うテキストになっているあたり、お見事と言うしかないのである。
本書はテレビ業界の体質の奇妙さを軸にとって、言葉というものが多くの場面でいかに空しく交換され、わかりあえずに消えていくかを描いているが、自分の周囲や一般社会に当てはめても十分通用する話だと思う。
だから、読んでお腹を抱えて笑いながらも、終始、不思議な感覚もつきまとう。頭の上のほうにいるもう一人の自分から「そんなふうに笑ってるけど、あなた自身は大丈夫なわけ? それと気づかず、失礼なこともしちゃってるんじゃないの?」とツッコまれて、冷や汗を流すような……。
彼の小説の魅力の一つは、あの独特の饒舌文体だ。だが、その過剰さに挫折する人もいると聞く。もっとも、この「外道」シリーズなら、そんな人でも間違いなく町田康文体に酔い、大笑いできること必至。ただただ楽しんで読める、著者の入門書的な一冊としてもおすすめしたい。