日本語ポップスの開拓者といえば、まず、服部良一の名前を挙げなければならないだろう。服部が手がけた曲で「流線形ジャズ」というものがある。リリースは1935年。歌い手は志村道夫。スウィンギンな演奏をバックに、「♪スピード~ スピード~ ハイスピード~」と、イタリア未来派も顔負け、速度礼賛の歌詞が楽しい。現在は、元ピチカート・ファイヴの小西康陽が監修したCD、服部良一『ハットリ・ジャズ&ジャイヴ』(コロムビアミュージックエンタテインメント)で聴くことができる。
かつて、工業デザインの世界で、流線形という考え方は、重要な役割を果たしていた。科学的な合理性と洗練された意匠、双方を満たすものとしてもてはやされたのだ。同時に、流線形は、デザインの分野だけでなく、さまざまな領域を覆い尽くすことになる。本書『流線形シンドローム』は、「流線形イメージ」が、どのように拡散していったかを検証する1冊だ。
そもそも、流線形とは、物理学用語だった。つまり、「空気抵抗を考慮に入れ、空気力学的な障害因子を制御したり排除する」かたちを指し、「そうすることによって、スピードを上げたり燃費を良くする」ことが目的だった。著者によれば、一般レベルで流線形イメージが広まったのが1934年。クライスラーが発売した大衆車「エアフロー」がきっかけだ(ちなみに、前述の「流線形ジャズ」が人気を博したのは1935年。アメリカでの流行が、ほぼリアルタイムで、日本にも上陸していたことになる)。
その後、流線形は、本来の意味を失い、モダニズムを象徴する記号として流通していく。流線形という「かたち」以上に、流線形という「イメージ」が、アメリカ社会の隅々に行き渡るのだ。たとえば「ヴォーグ」に掲載されたファッション写真を見ると、流線形蒸気機関車に最新のモードをまとったモデルが身を寄せている。ここでは、流線形イメージが、「滑らかで淀みがなく、抵抗を排してムダがなく、モダンで先進的であり、趣味が良くて優雅」なものとして、受け止められている。
この場合、傍らに蒸気機関車が配されているだけ、まだわかりやすい。流線形イメージは、ゴルフボールやクラブヘッド、収納に便利なミルクボトル(!)など、本来の形状から逸脱したものにまで適用されていく。さらには、鉄道会社の中央管理システムや、警察機構の合理化に際しても、流線形イメージが重ね合わされる。もはや、この時点では、「抵抗因子を排除する」という意味合いしか留めていない。こうして、流線形イメージは、徐々に「美しさ」や「合理性」の規範として機能し、その結果、美人コンテストから品種改良、そして優生学の誕生にまで、深い関わりをもつことになるのだ。
一見すると、何の関係もない事柄が、流線形イメージという枠組みを設けることによって、ふいに結びついてしまう。そこに浮かび上がる20世紀の精神史。著者は、雑誌メディアを中心に、流線形イメージの水脈を丹念に掘り起こしている。その手つきはあざやかだ。
本書は流線形イメージに特化している分、いくぶん、とっつきにくいかもしれないが、著者には、他にも『悪魔の発明と大衆操作』(集英社新書)や、『ポピュラーサイエンスの時代』(柏書房)といった好著がある。前者では、ラジオやテレビといったメディアが、大衆操作の装置として成長していく様子を描き、後者では、電動歯ブラシやコンタクトレンズ、体温計や牛乳パックといった日用品の裏側に、どのような欲望が秘められていたのかを読み解いていく。
本書含め、共通しているのは、科学や技術がもたらすイメージが、どのように語られ、我々の生活に、どんな影響を与えているのかを探ろうという姿勢だ。いずれも、ダイエットや禁煙など、健康神話に毒されている(?)現代人に、別の角度から「科学」や「合理性」を捉え直す機会を与えてくれる。