ぶひ。
ぷぎぃぃ。
ぼととん、ぼひ。
養豚場から食肉加工工場に移送する途中の交通事故。トラックから投げ出されたトンコ――063F11は、山奥からの兄豚の声にひかれて歩きはじめた。足元の兄弟姉妹の血肉には気づかずに。温室育ちのトンコが初めて触れる野生の生活。それは思いがけないきらめきを放っていた。だが、次第にトンコを捜索する人間たちの手が迫り、トンコの預かり知らぬところで、その狂気が加速していく。トンコはひたすら兄弟たちを求めて鳴き声を上げるが……。
第15回日本ホラー小説大賞短編賞に輝いた表題作は、豚の逃走を描いた、それだけの作品で、なのに夢中で読まされてしまう不思議な魅力がある。映画「ベイブ」みたいな豚一人称が出てくるのならともかく、本作は、あくまでクールに三人称で突き放して描いている。なのに、読者がもんどりをうって豚に共感するのはどういうことなのか。そこは、審査員に高く評価された、たしかな筆力がものをいう。審査員の一人、林真理子氏いわく「純文学雑誌に出ても高い評価を得たはずだ」という端正な文章と、本稿の冒頭にも入れた絶妙な擬音の繰り返しが通底音のようにリズムを刻み、なんともいえない雰囲気を醸し出すのだ。しかし、かわいいだけでは終わらないところが、ホラー大賞。やがて、トンコが辿る運命への予感が行間からひたひたと押し寄せ、生きることの怖さに心肝を寒からしめ、やがては哀愁に身を浸すことになる。
同時収録の作品についても、解説を加える。
まず、「ぞんび団地」。
夢のニュータウン「くちなし台」では、住人たちが、なぜか軒並み「ぞんび」になって暮らしている。「ぞんび」――いわゆる、動く死体として。小学生のあっちゃんは、立ち入り禁止のその団地にそっと出入りし、「ぞんび」になりたいと願う日々。だって生前は怖かった団地の人々は、いまは人が変わったように、静かに仲良く暮らしているから、あっちゃんに辛くあたるようになったパパとママも、「ぞんび」になったら、もとの優しい二人に戻るかもしれない。だが、どんなに「ぞんび」たちに頼んでも、彼らはあっちゃんを噛んで、仲間にしてはくれない。「そんび」への憧憬の念が次第に高まっていくあっちゃんは、こっくりさんに方法を訊いてみることにする。それがさらなる悲劇を招くことになるとも知らず。
ですます調の、小学生の無垢な女の子を通してかわいらしく語られる本作。「ぞんび」のおぞましさと、それ以上に残酷な人間の所業を対比させ、語り口とのギャップの妙に目くらましを受けるうち、驚くべきことに、「ぞんび」により親しみを覚えさせられるという、不思議な味わいを持つ。前年、2007年の日本ホラー大賞短編部門で最終候補に残った作品を改稿したものである。
次に「黙契」について。
地方警察に勤める兄が、海外研修で聞いた突然の知らせ。それは、たった一人の家族である妹の自死だった。一人、アパートで首を吊り、10日ものあいだ発見されなかったという。急ぎ帰国したものの、心ないおじ夫婦の手によって、遺体は焼かれ、遺されたのはわずかな荷物と骨壺だけ。デザイナーを目指して東京に出た妹からのメールはいつも希望に満ちあふれていたというのに、彼女の苦しみのサインを見逃してしまっていたのか。兄は、妹の周辺に聞き込みをし、ノートPCのチャット記録などを調べ始める。そして、首を吊った妹は、押入れの隙間から語りかける黒い影に怯えながら、兄を待ちわびていた。
調査をすすめるうちに、次々に発覚する、妹の悲しい嘘。そこに、時制を前後させながら、死んだ妹の語り(これは、本当に死んでから。首を吊ってぶらぶら揺れながら、腐りかけの脳で回想していく)が挿入され、幻想的で物悲しい物語が浮かび上がる。本書のために書き下ろされた新作だ。
この三様の物語を見事に描ききった著者は、2007年に第2回『幽』怪談文学賞短編部門大賞を「あちん」で受賞しており、連作長篇化した『あちん』(メディアファクトリー)も発売中。こちらは、福井県を舞台に、公務員の奈津美が出会う実話とフィクションの混じり合い、いくつもの怪談を連ねて、ひとつの恐るべき物語を形成していく。ご興味を持たれた方は、こちらもどうぞ。
ちなみに、著者のhp「すずめのヒナタボッコ」から、さらに詳しい著者情報がわかり、サイバー・トンコに会うこともできる。