ヴェトナム政府は『戦争の悲しみ』にいったんヴェトナム作家協会賞を与え、出版許可を与え、タイトルを『愛の行方』と改題させることを条件に、1991年、二千部が市場に出た。『戦争の悲しみ』のタイトルに戻して二刷が刷られたものの、ヴェトナム政府はやはりこの小説は国家の恥辱と考え、出版禁止にした。『戦争の悲しみ』の出版も、もとはといえば、1986年ヴェトナム政府が「ドイモイ」(刷新)と呼ばれる自由化計画を打ち出してからの流れがあった。しかし、ヴェトナム政府は、『戦争の悲しみ』をいったんは許可しながらも、やはり作品に潜む真実を警戒したに違いない。だがバオ・ニンのこの小説は1994年、Frank Palmos と Phan Thanh Hao によって"The Sorrow of War"として英訳・出版され、むしろ国外で新たな読者を得た。
他方、ヴェトナムの改革と自由化は進んでいった。集団所有制を廃止し、農民に耕作地を与え、農産物価格を自由化した。2000年には、それまで厳しい規制下においていた私企業を合法化し、証券取引所を開設し、貿易障壁を引き下げた。輸出入はがぜん急増した。ヴェトナムといえばむかしはボートピープルが相場だったけれど、いまや、社会主義市場経済国家として、高度成長を遂げている。こうした景気のなかで最近のヴェトナムの小説も、消費社会、恋愛、セックスという主題が花盛りらしい。近年は、村上春樹の『ノルウェイの森』がベストセラーになったそうな。いまやヴェトナムの現在のベストセラーは女性とセックスが中心だそうな。作家は、望むものならなんでも書くことができるそうな。ただし、政府を決して批評しない限り。
ここへきて『戦争の悲しみ』がアメリカ資本によって映画化される可能性が出てきた。脚本家ピーター・ヒンメルスタイン(Peter Himmelstein)と監督ニコラス・サイモン(Nicolas Simon)がこの十年構想を暖め、ヴェトナム側と交渉してきた結果、ヴェトナムの文化スポーツ観光省が米側のシナリオを承認し、ヴェトナムでの撮影を許可したそうな。映画中の会話はヴェトナム語でヴェトナムの俳優陣が出演、上映時に英語字幕が付けられる予定だとか。(もっとも2008年9月の最新情報によると、アメリカ側の提示したシナリオに、バオ・ニン氏が異議をとなえたため、クランクインが遅れそうだとか。)いずれにせよ、バオ・ニンの名誉は、いま、回復しつつあるようだ。これだけ優れた小説を書いたのだからそれは当然受けてしかるべき名誉だろう。
最後に翻訳の問題に触れなければならない。井川訳『戦争の悲しみ』(初訳めるくまーる社刊 1997年)には、元朝日新聞記者である訳者の政治的見解による作品への介入、大幅な加筆が本文のなかに存分に紛れ込ませてあり、野放図な超訳、あるいは翻案と呼ぶべきしろものだったことが、(同作品の別ヴァージョンの翻訳者である)大川均氏によってネットの内外で批判されてきた。今回の河出世界文学版の改訳では、問題箇所の多くも訂正されてはいるものの、それでもなお不透明な箇所は散見される。したがって今回、書評を書くにあたって、同作品の大川均訳『愛は戦いの彼方へ~戦争に裂かれたキエンとフォンの物語』(遊タイム出版刊 1999年)およびFrank Palmos と Phan Thanh Hao による英訳"The Sorrow of War"(1994年)を参照した。
■バオ・ニン Bao Ninh
1952年1月18日(一説には10月18日)、フランス軍との戦争中、疎開先のゲアン省で生まれる。父はハノイ大教授(言語学)。1969年にハノイの高校を卒業後、北ヴェトナム人民軍に入隊。南ヴェトナム、および(共産主義の拡大を防ぐためという目的で)南ヴェトナムを支持した米軍と、前線で闘った。同年、所属する一個大隊五百人は中部高原で米軍の攻撃を受け、十人だけが生き残った。カンボジア、ラオスにも転戦、1975年4月30日のサイゴン陥落作戦にも加わる。終戦後は、戦闘中の行方不明者(MIA)捜索隊に参加。1991年、自らの体験をもとに小説『戦争の悲しみ』を発表しヴェトナム作家協会賞を受賞。欧米など十カ国以上で翻訳され高い評価を得る。 1994年、Frank Palmos と Phan Thanh Hao による英訳"The Sorrow of War"が出版された、(この年1994年は、おりしもアメリカがヴェトナムへの経済制裁を解除した年である)、1994年、『戦争の悲しみ』は、インディペンデント紙外国小説賞受賞。しかし、ヴェトナム国内では北軍兵の描写などが軍の「栄光」を汚すと軍関係者の批判を浴びた。だが、時代は変わり、ヴェトナム経済の繁栄とともに、いま、バオ・ニンの名誉はヴェトナムにおいても回復の兆しにある。