驚いたのは、キッチンの調理器具が古色蒼然たるものだったということで、このシェフがホワイトハウスに入ってまずやったことは、順序立ててキッチンを整えることだったと力を込めて書いている。便利で、早くおいしくできる用具が沢山できている時代に、それまで全然新しくしてこなかったらしい。それでも何とかなっていたのだろうが、自分でここを仕切るには、どうしても道具を一新したいというシェフの考えを通していく。
それまでホワイトハウスの食事を指揮してきたシェフはいなくなったのだが、多くのスタッフは引き続き大統領の食事を作る職場に残っている。そのこれまでのスタッフの中に一人で入っていくのだから、軋轢が起こる。それをどうにかしなければいけないと思っていると、ヒラリーがキッチンにやってきて、「実は特別な用もないのに」このシェフと親しく雑談をして時を過ごして帰って行ったという。
皆どう思ったか? 「あんなにヒラリーと親しく、信頼されているシェフなんだ!」と感じた。この時以降、皆がこのシェフのことを受け入れてくれるようになったと書いている。
ヒラリーの頭の良さを感じさせる。人を引きつける魅力を持っているんだろうし、どうすればいいかを心得ている人なんだろうと感じさせる。
アメリカ人の好きなパーティーの話は繰り返し出てくるが、ホワイトハウスの建物の中がどうなっているかと、もう一つ敷地はどういう風に広がっているのかがわからないが、これぐらいの人数だとここで、国内の人が集まる大人数のパーティーだとこっち側の庭で、と人数と目的に応じて実に巧みに準備していく。その場合も、アメリカンスタイルがどこかに取り入れられる。膨大な数の客を迎えるとき、友人のシェフたちを頼んだり、陸軍の食料係の車を借りて野外で料理したり、このシェフの臨機応変が面白い。
国家的な集まりの会議のあとの食事、あるいは国際的な場合など、あらかじめ準備して待つのだが、15分早めて、だとか、30分遅らせての食事、あるいは食事時間を短縮するからどんどん出して、というようなことがしばしば起きる。そういう場合に「初めからそうするつもりだったように」見えるぐらい落ち着き払ってサービスすることが最も重要なことになるようだ。国家元首だって、誰もが王侯貴族の暮らしをしているわけではないので、おいしくて量があればだいたいは満足するものらしい。そのこつを掴んでからは、滞りなく楽しくホワイトハウスの食事係をこなしていく。
クリントン夫妻の娘が友達を連れて帰り夜の食事を作ってくれといったり、アルコールを飲まない世代の娘たちのパーティーの用意をしたり、予定していない友人をクリントンが連れて帰って「何かないか」ということもないではない。しかし、ホワイトハウスのキッチンのスタッフは、常にそうしたことに備えている。中で仕事をしている人のための食事もあるわけだから。
この本には、ホワイトハウスで人気だったメニュー、ヒラリーが大好きだったメニューのレシピも載っている。
世界で最高の権力の座にある家族が、ホワイトハウスを去っていく。その人たちのために料理を作ることは二度とないだろうとわかっている別れ。これもまたホワイトハウス独特のものなんだろう。その大統領のスタッフとしてホワイトハウスに入った人々がザァーッといなくなる日々が寂しい。ああ、そういうものかと思う。
そして新しい主がやってくる。
私は、ブッシュが嫌いなので、この本の中でブッシュがホワイトハウスに来た日からうんざりしていた。テキサスの保守的なおじさんが食べる食事。ひたすらそれであって、それ以外のモノは要らない、新しい料理は口にしないというブッシュ。その田舎ぶりがおかしいけれど、こんな人物に料理を出し続けるつもりかなぁ、と思っていると案の定色々ぶつかることが出てくる。
特に、ブッシュの第二期に入ってブッシュの「お友達」がホワイトハウスに入って来るようになってからは、下世話なセレブにかき回されるようになり、ついにシェフを辞めることになってしまう。ホワイトハウス内の飾り付け、花の選択、食器の選択、メニューの組み立て、あらゆるものが新参の「派手好きな人々」によって曲げられていく。このメニュー、この食材はブッシュ夫妻の好みなので出してきたのだという説明に耳を貸さない。
ホワイトハウス歴代のシェフは、円満退職したように配慮してきたが、このシェフは「馘になった」とマスコミに言ってしまって、それで一悶着起きてしまう。でも、読んでみれば、このシェフの誇りにかけてそうしないではいられない、厭な者たちがホワイトハウスを支配し始めた様子がわかる。
あまり期待しないで読み始めたけれど、実に面白いのでお薦めすることにした。あの9月11日、このシェフがホワイトハウスにいて、何を見たかも興味深い。
ホワイトハウスの主が変わると、その人の好みにあった食事を出すことになるので、今度のオバマ大統領はどんな料理が好きなのか興味が湧く。アジアン・ディッシュを時に注文するかな。