著者の南 武成(ナム・ムソン)は、ソウルで韓国初のジャズ専門誌「MM JAZZ」を創刊した編集者であり、韓国内のジャズ・フェスティバル企画やCD制作を手がけ、また自国ミュージシャンのジャズ部門賞である「Doo Bop Award」を創設してきたプロデューサーでもある。
この本は、絵と文を自ら手がけた異色韓流マンガとして、2005年から日本のジャズ専門誌「スイングジャーナル」誌上で3年間にわたって連載されてきた人気作品が、このたび単行本化されたもの。韓国では、「コミックで知る、ジャズのヒューマン・ストーリー」として続編と共にベストセラーになっている。
本書を読むと、ジャズという音楽の重量感と複雑な歴史を少しでも分かりやすく伝えたいという著者の熱意が表われたもので、これまで未踏の「ジャズ史100年のコミック化」に挑戦した力作であることが判る。著者は概論的なジャズの歴史ではなく、一人ひとりのミュージシャンの自叙伝やインタビューを基にして、その当時の社会的な背景や隠れたエピソードを織り交ぜて、血の通ったジャズ・ストリーム100年の紹介に主眼を置いたと、その前書きで書いている。
基本的にジャズの歴史は音楽スタイルの変遷史だと考えられ、その意味で初期のラグタイムやスイング時代からモダンジャズ隆盛期におけるハードバップやモードと言った、演奏スタイルを創ってきたジャズ・ミュージシャンの生い立ちや交友関係を中心にマンガで展開している点が、これまでのジャズの歴史に関する解説書と大きく違うところだ。
何と言っても興味深いのは、ミュージシャン同士のジャムセッション中のやりとりや、バンド結成時の裏話と楽屋でのエピソードなどをしつこく掘り起こした内容が秀逸で楽しい。マンガだからこそ許される、まさに見てきた様な何とやらである。
特別に絵が上手いわけでもないのだが、味のある描線にハーフトーン多用による印象的なアプローチも新鮮で、やや多めの解説と注釈を気にせずに読めるのは嬉しい。
幾つかの面白いエピソードを拾っていくと、例えばジャズ創世期にニューオリンズで活躍したミュージシャンのジェリー・ロール・モートンは、ラグタイムなど即興演奏が得意なピアニストとして有名な人物だ。ジャズ開拓者のひとりである彼は、代表的なクレオール(仏領ルイジアナ州在住のフランス人またはスペイン人と黒人との混血で奴隷階級から開放された教養豊かな有産階級)であった。
モートンはピアノも巧いが口も達者だったらしく、1938年にシカゴのラジオ番組に出演した折に「自分こそがジャズの創始者であり、誕生地であるニューオリンズからこの世にジャズを送り出した世界一の作曲家である。」と口角泡を飛ばして熱弁しているスタジオマイク前の一コマが描かれる。
そして欄外の注釈には、このラジオ番組のタイトルは“Believe It or Not”(信じる?信じない?)だった、とある。
同じくジャズの黎明期である1924年、フレッチャー・ヘンダーソン楽団は、黒人特有の音楽だったジャズを白人好みの洗練させたアレンジで演奏する名門楽団で知られていた。当時、ニューオリンズ・ジャズと呼ばれる革新的なスタイルのモダン・ジャズ・ミュージシャンとなっていくルイ・アームストロングを始め、コールマン・ホーキンスやアート・ブレイキーなど若き日のジャズスター達が勢ぞろいのビッグバンドだ。しかし、時代を先取りしたバンドの才能あるアレンジャー兼リーダーも、アメリカ経済恐慌のあおりでクラブ閉鎖の憂き目に会い、また自身の目の手術で演奏活動の休止を余儀なくされる。
その上、ハーレムの「コットン・クラブ」出演契約ではデューク・エリントン楽団の後釜になるチャンスをジミー・ランスフォード楽団に奪われて経済的にも困窮、太平洋戦争の勃発やスター楽団員の脱退など不運が相次いで重なる事態となる。
そして、54歳の時には再起をかけたツアーを前に無理が祟って、とうとう中風で倒れてしまう。彼が志向する時代を先取りし過ぎた音楽性は、ついに商売にはならず仕舞いだった。皮肉な事に10年後に白人のベニー・グッドマンが彼のアレンジを模倣してクラリネットで完成させ、「キング・オブ・スイング」と呼ばれるほどの経済的な成功を手中にする。
気の毒にもフレッチャー・ヘンダーソンは、ほのぼのとした画面から伝わってくるペーソスと相俟って、「世界で一番運が悪いオトコ」と紹介されている。