市原 基は、これまで南極・北極・グリーンランドなど極地における「氷」、アジア・モンスーン地域の「水」、そしてアフリカの「火とエネルギー」をテーマに、氷・水・火の3部作をライフワークとした写真家である。
例えば、代表作『MONSOON/水と生きるアジア(EDITION STEMMELE社刊・スイス版写真集)』を開くと、彼の地で自ら地形を確かめ、気候を感じとり、現地の人との交わりと、その胃袋で考えた信条をバックボーンとした展開が見て取れる。これらの地球環境を見据えた素晴らしい写真は、そこに根を張って生きる人々の生活から離れない視点で語り、この地域への傍観を許さない作家態度であることが納得できるものだ。
1982年、国際捕鯨委員会の「商業捕鯨」一時停止が決定された年に、初めて乗り込んだ捕鯨母船「第3日新丸」での取材を皮切りに、日本から片道で13,000kmの彼方になる南氷洋で、ぶつかりあう生命と生命の姿を目撃する機会を得たのだった。 捕鯨会社に取材を申し込んで待つこと3年を経て、その時の捕鯨船団に同乗した貴重な写真撮影と体験の記録が本書である。
本格的な「商業捕鯨」は、同委員会の決議により1986年の漁期をもって中止され、細々とした「調査捕鯨」の継続から本年で23年の時が過ぎようとしている。
捕鯨に対する世界情勢では、折しも日本の「調査捕鯨」に対する反捕鯨団体シーシェパードの妨害活動の過激化が報道されている昨今である。対象となる鯨は、現在84種という多くの種類が確認されているが、絶滅しそうなほど減少している稀少種もあれば、自然界のバランス上増えすぎている繁殖種もあるという。
市原は、昔から「海の幸」として鯨を大切に食べてきた日本人のひとりとして、とにかく捕鯨の現場を見て事実を知り、いま一度「捕鯨」とは何なのかという事を伝えておきたい、と本書の動機に触れて書いている。
この同乗記録では、「鯨を捕る」という我々の日常から遠く離れた見知らぬ世界に飛び込み、母船・キャッチャーボート・仲積船の連携で繰り広げられる、壮大なスケールの捕鯨船団に拠る作業の一部始終が眼前で展開される。とにかく、写真で見せられる鯨の捕獲作業の執念と伝統に支えられた人間業、そして母船における1日40頭分の解剖処理と製肉加工や冷凍保存などの膨大な作業量と、300人以上が働く現場の労力の大きさには本当に圧倒されてしまう。
なかでもキャッチャーボートに乗り込んだ捕獲作業時での決死の撮影は、想像を超えた戦闘モードの臨場感にあふれている。巨大な鯨が小さく見えるほどの広大な南極海の水平線を背に、寒風と氷混じりの荒波が打ちつける小さなキャッチャーボートによる格闘は、息をのむ船と鯨との力比べが実感できて圧巻、また従事している乗組員のチームワークの姿は時として崇高ですらある。
猛吹雪と大シケの中で、どんな瞬間でも鯨から目を離さない甲板長「ボウスン」、20m上の大揺れマストに陣取る迫力の操舵指示と、風も波もまともにかぶりながら船首の砲台にしがみつく砲手「てっぽうさん」。写真のシーケンスからは二人の呼吸が絶妙のタイミングで合わなければ、うまく鯨を仕留める事ができないと悟らされる。この戦闘モードの成果に対する二人への尊敬と賞賛は、乗組員の「バンザイ!」という甲板に広がる声と共に実感できる。かつて、全長24メートルで150tを超すシロナガスクジラを追っていた経験がある通信長は「水平線の向こうで大工場の煙突みたいにブフォーと、でかい潮が吹いた時は、ブルブル武者震いがしたもんよ。」と双眼鏡を構えて語るあたりも往時の勢いが垣間見えるところだ。
闘いを終えて「ありのままを撮り、現場を見たんだから、そのままを書いてください。隠す事は何もないんだから、これがワシらの仕事なんだよ。」と胸を張る筋金入りのプライド、「てっぽうさん」の言葉が重く響く。
日本人は、伝統的に鯨を大きな「海の幸」として食べてきた民族であり、鯨を一頭捕れば、七つの村の人たちが食べる分を賄える「鯨一頭、七浦(ななほ)うるおす。」という言葉が今も残されている。また、食文化としての鯨料理の数々は、海から離れた地域でもこの貴重なタンパク源を余すところなく大切に食べてきた証しと言えるだろう。本書で活写されたドキュメントは、今宵食卓に供される「はりはり鍋」を前に、今一度13,000km彼方の絶海の船団を思い起こす契機になる筈だ。
市原は同乗記の最後に、母船から操業を切り上げて遠ざかるキャッチャーボートを眺めながら、生命を食べること、そして生命を守ること。この矛盾する難題をこれからも考えてゆきたいと語っている。