【宅先生はヘビースモーカーで、レッスンが乗ってくると、自らピアノを弾き出して止まらず、灰が鍵盤にぱらぱらと落ちる。その姿の見事だったこと。後に僕がピアノを弾くと、白鍵が灰色になっていたりした。十九歳の音校脱落者の僕にとっては、見たことも聴いたことも想像したこともない存在が宅先生であり、神秘的な存在だった。】
――『白鍵と黒鍵の間に』――より
鍵盤上にぱらぱら落ちる灰のイメージ。『白鍵と黒鍵の間に』というタイトルを持つ本の中に、そっと挿入される灰色の鍵盤のイメージ。なんてうつくしい情景だろう!
『白鍵と黒鍵の間に』では、その筋の方々含め、バブル絶頂期の銀座界隈に出没する様々な傑物が入れ替わり立ち替わり登場し、『鍵盤上のU.S.A』では、あたかもアキ・カウリスマキの映画における「レニングラード・カウボーイズ」のごとく、笑っちゃうけどシリアスな珍道中が繰り広げられる。本来なら、これらの経験は通常、「エピソード」と呼ばれるものだと思うが、ある理由(最後に書きます)で、「エピソード」という表記を注意して避けておきたいと思う。いずれにせよ、2冊を続けて読破していくなかで、向こうから次々と表れては去っていく経験の数々は、読者にとって不思議なドライブ感をもたらす。トイレに立つ、目が疲れてふと本から顔をあげる、ちょっと飲み物を取りに行く、そんな時はあたかも路肩に一時停車するような感じ。そんな読書の終わりは、さて、どこへ行くのか?
鍵盤をキーボードに変えて(あるいはもしかすると万年筆だったりするのだろうか)、著者が本というかたちで世に問うた、これらの文章について、どうしたってピアニストらしく、「すごくいいタッチ」などと言ってみたくなる(アルバム『Like Someone In Love』の、菊池成孔氏のライナーの猿真似みたいで恐縮なのだが)。実際、特に『鍵盤上のU.S.A』のほう、英語表記を極力、カタカナで書いてみせるその「タッチ」の良さは、ある意味この本の心地よさの縮図である。
【「ホエア・アユ・フロム・サ?」
TOKYOだと答えると、なぜだか声帯を震わすような声を出して、「オホ~ヤ」とその運転手は答えつつ、ものすごいスピードで走っているにもかかわらず、僕の方に頭を向けて何だかわけの分らない紙片を僕にわたした。】
このブロークンなイングリッシュを音引き無し、もしくは「オホ~ヤ」の「~」で表す耳の良さ。
【その音楽的丁々発止は止まるところを知らず、その晩ライルスにいたお客さんも相当興奮していた。もうこれ以上音楽的発展はあるまいというポイントをクリスは悠々と凌駕して行き、NYの大御所たちは、そのサウンドに意地になってついて行くというモーメントが何度もあった。】
ここはやはり「瞬間が何度もあった」ではなく、「モーメントが何度もあった」だろう。なんというか、意味は同じなんだけれども、「瞬間」だと、質量のまったく無い、それこそ「点」という感じだが、「モーメント」というカタカナ表記によって、そこに空間が生まれるようだ。
そして『鍵盤上のU.S.A』の最後の最後、あとがきで著者は、「レジェンド」という言葉を2回、使っている。レジェンド。これこそ、南博という人が6歳から始まって小岩へ、六本木へ、銀座へ、ボストンへ、ニューヨークへ飛んで場数を踏んで、人と交わって、学んで、考えて、そして自分の身体の中からいつのまにかスッと出てきた言葉だろうと思う。レジェンド。
【この本に書き著した幾多の物語は、単に、音楽を志す青年が経験することのみではないのではないかという新たな思いとも直結する。つまり、あらゆる人の心の中に湧き上がる、一種の幸福とか不幸とか、そういった単純な人生のくくりをとおりこした、全ての人が持ちうるであろう各々のレジェンドとの共通項を有するのではないか。】
【以上、読者の方々の各々のレジェンドと、僕のそれとが、どこかで交錯することを願ってやまない。】
ここで書かれている「レジェンド」という言葉の生かされ方、これはまったくもってオリジナルなものである。とうぜん、「伝説」などという言葉に置き換えたらエラいことになるし、単なる「逸話集」といったことでもないだろう。
レジェンドとはなにか? それは、読者に課せられた宿題であり、胸に手を当てて考えてみる(思い出してみる)べき何ものか、なのだろうと思う。「エピソード」と呼びたくないと書いたのは、この「レジェンド」の一語があるためである。アルバムの中で温かく眠る「エピソード」ではなく、過去にも今この時間にも、熱く流れる「レジェンド」が書かれているのが、『白鍵と黒鍵の間に』と『鍵盤上のU.S.A』という本なのだから。
実はきょう、初めてアルバム『Like Someone In Love』を買ってきて聴きました。1曲目が「My Foolish Heart」(ビル・エヴァンス!)だったのにはびっくり! もちろんまだぜんぜんこのアルバムについて語る言葉を筆者は持ちません。今度はライブにも行ってみるつもりです。
なんだかんだ書きましたが、とにかくベラボーに面白いこの2冊を、ここを読んで買いにいく人が、そう、たった1人でもいい! 居ますように。
チビチビ飲んでいた缶コーヒーが、今、ちょうど無くなりました。