前々から、必要もなければ、欲しくもないし、買えもしないようなものを必死になって売りつけようとする電話セールスに対して腹を据えかねていたハニーですが、その夜電話してきたボイドが放った無神経なセクハラ発言により、あっさりと臨界点を突破。あの手この手を駆使して彼の連絡先を入手したハニーは、ボイドの性根を入れ替えるべく、ある計画を思いつきます。それは、電話セールスを装い無料のエコツアーで彼をフロリダまでおびき出し、カヤックに乗せて無人島に連れて行き、「現代人のマナーの低下と節操の喪失」について諭すというもの。まんまとひっかかったボイドに気をよくするハニーですが、まさか彼が愛人を伴ってくるとは夢想だにしてませんでした。
しかも想定外の事態は、これだけにとどまりません。ネイティプ・アメリカンの青年サミー・タイガーテールが、湿原を案内中に借りていたボートの中で白人の客が病死してしまったために、ほとぼりを冷まそうと、よりによってハニーが目指す島に隠れていたのです。しかもその島には、キャンプ中の大学生や新興宗教の教徒といった、“招かれざる先客”がいたのでした。その上、ボイドの妻が浮気調査のために雇った私立探偵や、セクハラ店長、そして別れた妻がやっかいなことを企んでいると知った前夫までもが島を目指し……。
ある者は巻き込まれ、ある者は勝手に割り込み、次から次へと奇人変人ばかりが集ってきて、さながら喧々囂々のガーデンパーティとなった状況から、綺麗にストーリーを収束させるハイアセン独特の手際は今回も健在です。
近作の例に漏れず、中期の作品――『ストリップ・ティーズ』や『虚しき楽園』、そして『トード島の騒動』(すべて扶桑社ミステリー、『ストリップ・ティーズ』『虚しき楽園』は現在絶版)――と比べて、過激度・複雑度・暴走度といったケレン味が“やや”押さえられていますが、それは単に“大人”になった訳でも、ましてや衰え始めたわけでもありません。それどころか、エンターテインメント作家としての技量は、一段階ステップアップしています。
そのきっかけとなったのは、二〇〇二年に発表した初のヤングアダルト向け小説『HOOT ホー』(理論社)です。日本でもベストセラーとなったこの作品でハイアセンは、少年の視点から語る楽しさに開眼し、これまで取り上げてきたテーマも、若い視点から見るとまた違った切り口で語れる、ということに気づいたのではないでしょうか。
本書『迷惑なんだけど?』に登場するフライは、他の変な大人たち(含む両親)に混じって、一歩も引けを取らない活躍をして愉しませてくれます。彼が暴走しがちな大人たちのストッパーとして機能した結果、本書のラストはこれまでの作品とはひと味違ったテイストを帯びたといってでしょう。優れたコラムニストという“大人”としての資質に、“少年”の視点が加味されたことで、作家としてよりバランスの取れた幅広い視野からテーマを浮き彫りにし、エンターテインメントへと昇華する腕前が発揮された傑作です。
最後に、本書のもう一人の主役であるサミー・タイガーテール絡みのネタを一言。白人の父とセミノール族の母との間に生まれ、自らのアイデンティティを確立しきれずにいる彼は、折に触れてカジノ経営者で部族の大物である叔父トミーに携帯で相談を持ちかけます。そんな彼に対して、「いいか、白人と向き合わずに生きていくことはできんぞ」「わしにはよくわかっているんだ。わし自身が経験者だから」と語るトミー。実は彼は、かつて〈十二月の夜〉と名乗る過激な環境テロリストの一員でした。若かりし頃の彼は、観光客を拉致してきては、“ある生き物”と闘わせて……、とこれ以上は読んでのお楽しみ。興味をもった方は、ハイアセンのデビュー作『殺意のシーズン』(扶桑社ミステリー)をご一読のほどを。気骨のある娯楽小説作家という言葉は彼のためにあることを実感できることでしょう。