白石一文の新作『ほかならぬ人へ』には、表題作と『かけがえのない人へ』の2編が収録されている。どちらの小説も、恵まれた境遇にありながら家族への愛や執着が希薄な人間にとって、大切なものは何かという通底したテーマがある。
この2編を理解するには、今年、山本周五郎賞を受賞した著者の前作『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け(上・下)』を併せて読むといいと思う。精神的な思考と肉体的な苦痛が併記されるが、肉体的な痛みのほうに圧倒的な実感が際立つ作品だ。暴力的な現実の前では、思考の効果などたかが知れている。
「絶対現象は思考の対象とはならない。それは突然足元で地雷が爆発したようなものだ。考える間もなく四肢が引きちぎられるように、心が引きちぎられる。自分の誕生や死。愛する者との死別。異性への激しい性衝動。食欲や排泄欲。睡眠欲。怪我や病気、暴力や拷問による苦痛。それら絶対現象は僕たちが従えることのできないものだ」
「僕はときどき考える。セックスの相手というのは言ってみればボクシングの対戦相手のようなものではないかと」という記述もある。絶対現象のひとつである男女の交わりは、即物的なのに清々しいほどだ。私はこの長編に<豊かで、クールで、薄っぺらで、悲しい物語>という印象をもった。神経を麻痺させるような出来事の多い現代を切り取るのに、これほどのリアリティがあるだろうか。
『ほかならぬ人へ』の主人公は、名家の出であるが出来が悪く「俺はきっと生まれそこなったんだ」と小さい頃から確信してきた明生。美人でエキセントリックな妻のなずなとはキャバクラで知り合った。その他の登場人物も、なずなの元カレで好男子の真一や、「ブス」「ブサイク」だがスタイルのいい東海さんなど、ステレオタイプなキャラクターが目立つ。明生は、自分自身をそれほど大事だと思ったことがなく、他人を大事に思う力も不足しがちだが「この世界の住人たちは誰も彼もが自分自分と言い過ぎているのではないだろうか」とも思う。明生がこれまで自殺を考えなかった理由は、自分みたいな生まれそこないが自分で自分の命を絶つなんておこがましいという気持ちと、生まれそこないの意地のようなものがあったからだ。
「人生は復讐だ。高校生の頃から明生はそう思うようになった。そうでも思わないと生きていられなかった。人は断りもなくこんな自分として生まれさせられ、断りもなくその自分を奪われてしまう。だとしたら、生きている間のわずかな時間だけでも自分を守り抜き、自分をこの世界に送り出した何者かに対して抗いつづけなければと明生は思っていた」
明生の生きる目的は、意地であり復讐だが、明らかに強度が不足しており、首根っこをつかんで揺さぶりたくなるような儚さである。明生の父と母は、兄たちに比べて飛び抜けて劣る彼の学業成績をちっとも気にしなかったわけだが、彼の不幸とは、そんな豊かで腑抜けな家に生まれた事実。義理の父親も登場するが、この男にも手応えがない。明生には、自分に必要な強度を与えてくれる父親像が不在なのである。
次々に人が死ぬし、時間も飛ぶ。ライトな恋愛小説と片付けたくなるが、どこへも行けないネガティブなベクトルの独自性は比類ない。「ほかならぬ人」とは特別な間柄のことだが、なんて弱々しく消極的な言葉だろう。この小説は、意図的な悲しみと弱さに満ちている。死や苦痛という抗えない暴力と対比される生は、記憶の中の匂いだけなのだから。
『かけがえのない人へ』は『ほかならぬ人へ』に比べれば幾分、実体が感じられるタイトルだ。こちらはもう少し力強い小説でなないかと期待したが、実際そうだった。
主人公は、聖司という誠実なエリートの婚約者がいながら、元上司の黒木とSM的な関係を続ける会社員、みはる。彼女は、若い愛人の家で発作を起こして倒れる父親に、人間的な深みを感じることができない。そして、そんな父と別れない母には、自信のなさと嘘の匂いを感じる。さらに、弟も軽薄にしか見えない―。こんな家族の中で育ったみはるも『ほかならぬ人へ』の明生と同様、豊かさゆえの腑抜けな状況におかれているといっていいだろう。
みはるは、弟に聖司のことを聞かれて言う。「どっちかと言えば好きかな。彼、やさしいし安全だから」。だが、内心ではこう思う。「黒木との関係に何も気づいていない聖司がもどかしい。そして万が一、気づいていながら黙っているのだとしたら、そういう男とはとても一緒にはなれない」。結婚を間近に控えながら、彼女が黒木と会い続ける理由は何なのだろう。「自分は父の伸也と似ているのかもしれない、と思う。父もまた優秀な母と二人三脚で築いた家庭をふと壊したくなって浮気を重ねてきたのではないか」
そう、この小説にも強い父親像が不在なのだが、妻と別れて一人になった黒木のキャラクターは、不倫相手という紋切り型の肩書きを超えた父性の輝きを放つ。粗野ではあるが、部屋をきれいに片付けるなどの几帳面さがあり、猫を可愛がる黒木。だが、彼もまた、父親不在の家に育ったのだった。刺青のある母親から虐待され、5歳から高校卒業まで、都内の養護施設を渡り歩いたというのに、彼は大学時代、末期がんが発見されたこの母の看病と治療費捻出のために、学校を辞めて働き出す。
ちゃんと育ててくれなかった母をなぜ、黒木は助けたいと思ったのか。「ろくでもない親でもやっぱり親だからな。お袋ががんだと知って、自分にもまっとうな人間のこころがあるかどうか、それを試したくなったんだろうな。お袋のために一生懸命に尽くしてみて、がんが治るか、お袋が死ぬかしたときに自分がどんな気持ちになるのかを俺は知りたかったんだ」。
死ぬ直前、涙を流しながら謝ってくれた母親だったが、その死を黒木は悲しむことができなかった。一方、みはるは、自分の結婚や結婚式を喜ぶことができない―。
黒木とみはるのような、無責任で後腐れのない関係のどこがいいのか。何のためにそんなことをしなくちゃならないのか。この小説はその意味に近づく。ラスト、みはるは大声で泣き叫びたいのに、彼女の瞳からはたった一滴の涙さえ出てこない。これを読んだ私も、みはると同様、悲しいのに涙は出なかった。美しい、理想的な結末と思えたからだ。