もしも、あなたに関して”あらゆること”を知っている人がいたとしたら、どんな気分がしますか?
住所、氏名、年齢、職業、身体データ、メールアドレス、携帯の番号といった基本的な事柄から、趣味や嗜好、交友関係、さらには保有資産や収入支出——いつ、どこで、なにを買ったか——まで、あなたに関するありとあらゆる情報を把握している人がいるとしたら……。はっきり言って不愉快でしょうね。
しかも、その知識を利用して、あなたを破滅に追い込むとしたら……。想像するだけでも、背筋が寒くなるのではないでしょうか。
ジェフリー・ディーヴァーの新作『ソウル・コレクター』(文藝春秋)は、そんなまるで“全知全能の邪神”のような犯罪者と、史上最高の犯罪学者リンカーン・ライムとの対決を描いた、ノンストップ・サスペンスです。
物語は、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)と協力して、因縁浅からぬ殺し屋を追いつめようとしているライムのもとに、一本の電話が掛かってくるシーンで幕を開けます。電話の主は、ニューヨーク市警重大事件課の警部補にして、旧友でもあるロン・セリットー。捜査の真っ最中に割り込まれて不機嫌なライムに対してロンは、ショッキングな事実を告げます。それは、リンカーン・ライムのいとこアーサー・ライムが、強盗殺人の容疑で逮捕されたというものでした。
被害者の名前はアリサ・サンダースン。グリニッチヴィレッジに住むこの女性を刺殺し、高価な絵画を奪った第一級謀殺の容疑をアーサー自身は否認していますが、合理的な疑いの入りこむ余地はないというのです。
というのも、彼の車の中から血のついたタオルが発見され、DNA鑑定の結果、被害者のものと一致。さらに凶器と同じ包丁が自宅から見つかり、現場に残された足跡が彼の履いていた靴のものと同じであることが判明。その上、アーサーは、盗まれた絵画を描いた画家の作品を、かつて泣く泣く手放した経緯がある上に、その画家の個展の招待状が自宅に届いていたのです。
さらに致命的なのは、目撃者がいたこと。現場からあわてて立ち去った車の車種と、ナンバープレートの文字の一部が、匿名の通報者の告げた事実とぴたり一致したのでした。
どこから見ても有罪確実な状況に対して、リンカーン・ライムは疑念を覚えます。あまりにも完璧すぎる、と。ひょっとして、いとこは嵌められたのではないか。もしかすると、同様の手口で証拠を捏造し、他人に罪をなすりつけ、犯行を繰り返している強盗殺人犯がいるのではないか、と。調査の結果、案の定同様の事件が二件もあったことが判明。かくて捜査に乗り出したリンカーンは、やがて、犯人がいかにして犠牲者——被害者と身代わり——の完全なる情報を得ているかを知り、慄然とすることに……。
シリーズ第一作の『ボーン・コレクター』を始めとして、第二作『コフィン・ダンサー』、第五作『魔術師(イリュージョニスト)』、そして第七作『ウォッチメイカー』(以上、すべて文藝春秋)等、これまでリンカーン・ライムが対決してきた相手は、すべて相手の先の先を読む頭脳犯でした。彼ら〈名犯人〉と四肢麻痺ながら最新のハイテク機器を使いこなす、史上最高の犯罪学者リンカーン・ライムとの、火花散る逆転に次ぐ逆転劇こそが、このシリーズの最大の特徴であり、読者はそこにカタルシスを覚えてきました。
ところが、今回の犯人は、これまでとはまるでタイプが違います。犠牲者を選び、監視し、情報を集め、罠に嵌め、殺し、破滅させる。まるで、WWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)という広大な蜘蛛の巣の中心で、じっと獲物が掛かるのを身を潜めて待っている毒蜘蛛のような人間。そんな、卑劣な犯人の牙は、ライムの恋人であり頼りになるパートナーでもあるアメリア・サックス刑事を始め、リンカーン・ライム・チームにも向けられ、かつてない危機を迎えることになります。はたして、“全知全能の邪神”に対して、打つ手はあるのか。
本書では、いとこのアーサーの嫌疑を晴らすという設定に絡んで、シリーズで初めてリンカーン・ライムの警察官になる以前の過去が明らかにされます。彼は一体どういう、青年だったのか、なぜ犯罪学の道に進もうと思ったのか。
さらに、『ボーン・コレクター』で、アメリア・サックスが命を救い、『ウォッチメイカー』で、運命的な際会を果たした少女、パム・ウィロビーがみたび登場し、捜査に一役買うのも、長年のファンには嬉しいところです。
今、海外ミステリ・ファンのあいだで、多くの読者から年に一度の新作の翻訳を最も心待ちにされている脂ののりきった作家、ジェフリー・ディーヴァーの新作を、どうか楽しんでみてください。