2009年6月の広東省の玩具工場での漢人労働者とウイグル人労働者の衝突事件に端を発し、7月5日、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで起きた大規模な「暴動」をピークとする騒乱事件は、今もなお記憶にも新しいところです。
中国政府の公式発表によれば死者200人に及ぶとされる多数の死傷者を出し、制圧に際して拘束されたとおぼしき多数のウイグル人住民がいまだに「行方不明」になっていることが、国際人権団体によって伝えられる(http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=679)など、きわめて深刻な事態を伺わせる情報は数多くもたらされているものの、当局による厳しい情報統制もあって、事件の詳細な全体像を把握することは、日本に暮らす専門家ではない身としては相当に困難です。それでも、支配層である漢人と他民族を隔てる社会・経済・政治的格差の巨大さと、相互の不信と憎悪が、経済面においては発展の著しい現代中国社会をいかに深く蝕んでいるかは、改めて実感されたのではないでしょうか。
中国政府がこの騒乱事件を「扇動」したとの非難を浴びせた主な対象が、ドイツ・ミュンヘンに本部を置く在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」でした。海外組織からの呼びかけが、一貫して厳しい情報統制下に置かれてきた新疆ウイグル自治区内において、いかほどの「扇動」の効力をもち得たものか、疑問は尽きないところではあるでしょう。ともかく、「9.11」以降、中国政府は、被支配民族としての現状に対して何らかの抗議と抵抗を試みるウイグル人勢力を、ことごとく「イスラム過激派」「テロリスト」とみなして、「テロとの戦い」の口実のもとに制圧する戦略をとり、そのことが、中国のウイグル人にさらなる窮状をもたらしたことは確かです。
本書の記述によれば、「九月十一日のテロは世界を変えてしまった。しかしその敗者の最たるものは、われわれウイグル人なのである。」
さて、本書は、現在「世界ウイグル会議」議長ならびに在米ウイグル人協会会長として、中国領内のウイグル人の窮状の解決と、在外ウイグル人の団結・結束の必要を精力的に訴えてきたがために、中国政府に事件の「首謀者」と名指された当の人物であるラビア・カーディル氏の、初の本格的な自伝です。
第二次世界大戦末期、ウイグル、カザフなどのテュルク系民族による独立国家「東トルキスタン共和国」樹立の望みが、中国とソ連という二大国の思惑の交錯によって挫折に導かれた後、中国共産党軍が東トルキスタンを制圧(「解放」)し、中華人民共和国の一地方「新疆」として領有するに至ったのが1949年の夏。1948年11月18日、この民族の運命を決する動乱のまさに渦中で生を受けたラビア・カーディルは、イスラムの信仰とウイグル民族の伝統を重んじる両親のもとでの平和な幼年時代もつかの間、文化大革命期の強制移住の苦難を経て、改革開放政策にわずかに先んじる形で商人として財をなし、1990年代には「中国十大富豪」の一人に数えられるに至ります。
その一方、政治家としても、中央政府に対してウイグル人の窮状を説明し、自治権と自決権を求める発言を積極的におこなってゆきます。しかし、ソ連崩壊に伴う民族自決の動向の広がりに対して警戒心を強める中国政府が、国内の「分離主義勢力」に対して強権的な弾圧をもって臨む姿勢を固めてゆく中、ラビア・カーディルも政治犯として逮捕され、凄惨な拷問と虐待が日常的に支配する獄中にて6年を送った後に、かろうじて米国への亡命を果たし、その後は世界ウイグル会議代表としての活動を展開して今日に至ります。
文革期の強制移住と迫害と伝統的社会基盤の破壊、文革の終結後も続く政治的差別、経済発展に伴う漢人との間の貧富の格差の拡大、核実験や乱開発のもたらしたすさまじい環境破壊、一人っ子政策に伴う強制的な中絶や嬰児殺害、政治的活動や発言に対する容赦なき弾圧など、ラビアが目の当たりにし、ときに自らの身体をもって体験してきたウイグル民族の苦難の歴史が、読むからに痛ましい記述をもって綴られてゆきます。しかし、その一方で、ラビア・カーディルという人物の、ときに破天荒ですらある不屈のヴァイタリティ、そして稀代の商人としての才と徳には、その痛ましさと絶望感に拮抗するだけの強い印象が備わっています。
文革末期、手作りの小物を売るささやかな闇商売を咎められ、集会で吊るし上げられたことから、ついには六人の子をなした最初の夫の家をほとんど着の身着のままで追い出されたラビアが、「石鹸五個と洗濯用の大きな桶を一つ、洗濯板を三枚」準備して洗濯屋を始め、そこで稼いだ元手で、日用品、羊の皮、絨毯と商売を広げてゆき、とんとん拍子の成功をおさめるくだりは、昔話の「わらしべ長者」を思わせる痛快さです。
そして、「中国十大富豪」の七人目、女性では随一の大富豪となったラビアは、「資産が増えれば責任も増すが、人のために使える可能性もたくさん生まれる」「私には人々を貧困から解放する義務がある」との信念のもと、教育・就業機会に恵まれない人々を支援する活動に取り組んでゆきます。テナント入居や雇用に際しては女性と貧困者を優先し、漢人に比して乏しい教育機会しか与えられていないウイグル人の子供たちのための学校や、成人向けの語学教室を開催し、女性の自立を促すための商業教育と事業への投資を統合した「千人の母親運動」を立ち上げる―といったプロジェクトの数々を精力的に展開してゆきます。
これらの多彩なプロジェクトを貫いていたのは、自らが富むことで他をも富ませ、そのことで自らもさらに富むという、やはり「わらしべ長者」的な互酬と互恵の原則であるように思われます。結局、ラビアが立ち上げたプロジェクトの数々は、本人の逮捕に至る中央政府の干渉と妨害によってことごとく挫折させられたとのことですが、その結果として多大な損失を被ったのは、ただひとえにウイグル人側ばかりではないことは明らかであるように思われます。
というわけで、「逃亡者の娘として、貧しい主婦として、そして億万長者として……また中国人民政治協商会議の委員という立場から、さらには長い獄中生活を送った政治犯として、この国の姿を目の当たりにしてきた」と本文中にもある通り、本書はきわめてユニークな人格と個性をもつひとりの女性のライフストーリーを語りつつ、ウイグル民族の歴史と現状を広く深く見通す視点をもたらしてくれる稀有な人物伝です。
ちなみに、本書の監修者のひとりである水谷尚子氏が、ラビア・カーディル氏をはじめとするウイグル人亡命者たちに対しておこなった聞き取り調査に基づく証言集『中国を追われたウイグル人―亡命者が語る政治弾圧』(文春新書)も、中国における民族問題の諸相をヴィヴィッドに浮き上がらせてみせる、こちらも必読必携の一冊です。