数多くの部屋を備えた館と、森や湖を有する広大な敷地からなる上流階級の権勢のシンボル——カントリー・ハウス。大英帝国の文化を語る上で欠かすことのできないこの大邸宅は、これまで数多くの作家に愛され物語の舞台として用いられてきた。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(ちくま文庫、河出書房新社など)、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(光文社古典新訳文庫など)、トマス・ハーディの『テス』(岩波文庫など)等々。
貴族やジェントリーといった上流階級(アッパー・クラス)が栄華を極めた十九世紀、華やかなパーティが頻繁に催され、彼らの社交場としてカントリー・ハウスが重要な役割を担っていた時代に、同時代の娯楽として愛読されたこれらの物語は、今日でも多くの人々に読まれている。
もっともミステリ・ファンにとっては、これらの“名作文学”で繰り広げられる愛憎劇よりも、むしろお気に入りの巨匠が練りあげた策謀劇の場としての方が、なじみ深いかも知れない。『スタイルズ荘の怪事件』(ハヤカワ文庫)を始めとするアガサ・クリスティーの諸作、ドロシー・L・セイヤーズの『雲なす証言』(創元推理文庫)、アントニイ・バークリーの『第二の銃声』(国書刊行会)、ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』(新潮文庫など)など、カントリー・ハウスを舞台にした作品は、それこそ枚挙にいとまがない。
こうした作品が盛んに発表されたのは、一九二〇年代から三〇年代のいわゆる“探偵小説の黄金期”だが、その後も途絶えることなく書き継がれている。バーバラ・ヴァインのCWA(英国推理作家協会)ゴールド・ダガー賞受賞作『運命の倒置法』(角川文庫)やジェームズ・アンダースンによる本歌取り『血染めのエッグ・コージイ事件』(扶桑社ミステリー)といった直球から、モーラ・ジョスの泡沫夢幻のサスペンス『夢の破片(かけら)』(ハヤカワ・ミステリ)、さらには、この手の〈お屋敷ものミステリ〉の約束事を逆手に取ったギルバート・アデアの怪作『ロジャー・マーガトロイドのしわざ』(ハヤカワ・ミステリ)といった変化球に至るまで、秘密を抱えた〈館に住まう一族〉が織りなす悲喜劇は、今尚、世界中のミステリ・ファンを魅了してやまない。
さて、こうした〈カントリー・ハウスもの〉のミステリには、一つ重要な共通点がある。それは登場人物のほとんど全員が上流階級か、最低でもアッパーミドル・クラスに属するという点だ。労働者階級(ワーキング・クラス)の人間が屋敷に招かれたり、周辺の村の住人が噂の発生源以上の役回りを演じることは、ほとんどない。
とはいえ、表舞台に出てこないからと言って存在しないわけではない。それどころか、彼ら抜きでは、いかなるドラマも持続できない極めて重要な人たちがいる。言わずと知れた〈使用人たち〉である。
富と権力の象徴であるカントリー・ハウスの維持には、莫大な労力が必要とされた。上は執事や家政婦から下は下僕や皿洗いに至るまで、数多くの〈下階〉の者たちがヒエラルヒーを形成して、〈上階〉の住人が不自由なく“悲喜劇”にいそしめるよう奉仕(サービス)していたのである。
本書『リヴァトン館(やかた)』(ランダムハウス講談社)は、そんな〈下階〉の住人の代表格とも言えるメイドの目を通じて、黄昏ゆく一族がたどる破局への歩みを、美しく抑制の利いた筆致で緩急自在に描きあげたゴシック風味豊かな壮麗なるサスペンスだ。
物語は、老人介護施設で暮らす九十八歳になるグレイスが、一通の手紙を受け取るシーンで幕を開ける。それは、かつて彼女が仕えていた一族を見舞った“悲劇”を映画化するにあたって、関係者の中で唯一存命な彼女にインタビューに応じて欲しいという、若き映画監督アーシュラからの依頼状だった。
突然の申し出に動揺し、過去七十年以上にわたって封印してきた記憶が、心の奥底から浮かび上がってくるのを抑えることができないグレイス。だが、終生をかけて逃れようとしてきた“悲劇”の幻影が、人生の終盤を迎えた今、忌まわしいと言うよりは、むしろ慰めのような喜ばしいものに変わっているのを自覚した彼女は、アーシュラの頼みを聞き入れることを決意、往時そのままに再現された〈リヴァトン館〉の客間に足を踏み入れた瞬間、一気に八十年余の時を遡る。そう、一九一四年の六月、初めて〈館〉に奉公に上がり、メイド服に袖を通したあの十四歳の夏の日に。
忠誠心と自尊心にみちた厳格な執事、有能で包容力のある料理人、心通わせあった同僚、誇り高く毅然とした女主人(レディ)、そして愛らしき二人のお嬢様——グレイスと同い年の姉ハンナと四つ年下の妹エメリン。
彼らと過ごした、厳しくも充実した十年の年月(としつき)の記憶が、堰を切ったように押し寄せる。わけても鮮明に甦ってくるのは、美しく聡明で勇敢なハンナと共有することになった、お互いの“秘密”と、一九二四年の夏至の日に起きた、あの忌まわしくもやるせない“悲劇”だ。
〈リヴァトン館〉でパーティが開かれたあの夜、イギリス詩壇の新星は、なぜ死んだのか?ただ二人の目撃者となった姉妹は、事件後、なぜ二度と再び口を利かなくなってしまったのか? 罪の意識を抱いたまま生きてきたグレイスは、死を間近に感じる今、愛する孫にしてミステリ作家でもあるマーカスに向けて、すべてを語り始める。
なによりもまず驚かされるのは、構成の巧さと類い希なる文章力だ。十四歳から二十四歳までの若き日のグレイスと、九十八歳の老女となったグレイス。七、八十年の時を隔てて、二つの視点をスムーズに切り替え、過去と現在とを往還し、歴史という霧の彼方に隠されてきた秘密を徐々に明らかにしていく手腕のなんと巧みなことか。人物造形の巧さと相まって、読み始めたら最後、時の経つのも忘れて六〇〇ページを一気に読み切ってしまった。
作者のケイト・モートンは、オーストラリア在住の新人作家だ。デビュー作である本書で、サラエヴォで響いた一発の銃声を合図に世界が急速にその姿を変え始めた時代をしっかりと見据えて、その時代ならではのリアルな“悲劇”を鮮やかに再現してみせた。
一方、現実の一九二〇年代には、クリスティーの作品に代表されるようなヴィクトリア時代の《美風》をとどめる娯楽作品が、ノスタルジアを持って愛読されていた。
本書『リヴァトン館』は、冒頭にあげたような〈黄金期本格ミステリ〉と表裏一体をなす作品なのだ。一個の独立したミステリとして優れているだけでなく、古典的名作をより深く理解する一助ともなるこの稀有なデビュー作を、ぜひ多くの人に手にとって欲しい。
第二作Forgotten Gardenも、来年、東京創元社から刊行されるとのこと。よりミステリ色が強まった作品らしく、今後の活躍が楽しみな大型新人といえよう。