『杳子』『円陣を組む女たち』『招魂としての表現』の作家が、まさか『人生の色気』などというタイトルの本を出そうとは思わなかった。古井由吉は一九三七年生まれ。最初、ブロッホやムジールなど現代ドイツ文学の紹介者として登場し、『杳子』で芥川賞を受賞し、純文学の最前線でずっと先頭グループを走ってきた。
文壇的には坂上弘、後藤明生、阿部昭、黒井千次などと「内向の世代」というグループでくくられ、持続的に作品を発表し続けて今日にいたる。現代文学とはどういうものか、という問いに、それはこういうものだと自信をもって差し出せる少ない一人である。私はそんなにいい読者じゃないが、ずっと敬意を払う存在として古井を見てきた。
本書は、佐伯一麦や島田雅彦、讀賣新聞記者の鵜飼哲夫などを同席者にして、語りのかたちで作家人生を振り返る試みとして作られた。構成と加筆がうまく行ったのか、おかげで、「内向の世代」がずいぶん「外向」」的に、過ぎ方行く末を率直に語って、いままでになく、生まの古井由吉に触れた、という印象を持ち、楽しく読んだ。
テーマはいくつかあり、例えば作家生活四十年(「渡世」と呼ぶ)の回顧。戦中戦後の体験、同業者の回想、それに現代人に対する社会時評のような側面もある。目配りが広く、しかも姿勢は硬直せず、たぶん古井の作品を未読の読者でも、鋭敏な感性を損なわず生きた七十過ぎの日本人の言葉として、興味深く読めるはずだ。
昭和三十七年から三年、古井は金沢で大学の助手と講師をつとめるが、東京へ戻ってきたら、東京オリンピックにより、町並みがガラッと変わったと述懐する個所がある。
「麻布、六本木のあたりは、僕の高校時代だと都心に残された田舎でして、まだ畑があるような場所で、麻布十番から七面坂に至る道など、本当に寂れた町並みだった」
東京生まれで、昭和三十九年オリンピック前後に東京に不在だったというのは、いま思えば特異な体験で、この違和感の表明は重要だ。
なぜなら、それにより古井は「時代についていけないという気持ちもあったけれども、まだ若いから、時代についていかないと干上がってしまう。それならば、わざと紆余曲折して付いていこう、という了見でした」と書いているが、この「わざと紆余曲折して」というあたり、古井文学の自注としても読めるのである。
セクシャルな面についても、あちこちで触れ、その意味について考えている。団地の出現とセクシャルな情感の変化について言及した個所はその代表例で、「団地以前は、閉ざされた空間の中のセックスではなく、人の耳をはばかりながら交わっていました。しかし、またそこにエロティシズムがあった」と言う。何でもないことのようだが、そこに現代文学が抱えるテーマの変質も見えるわけだ。「晩年の中上健次は、日本家屋がなくなって困った代表でしょう。あの性的描写は、密室の中ではサマにならないんです」というのは、作家による作家論の好見本のようなものだ。
数年前、某所で古井由吉の講演を聞いたことがあるが、その語り口に巧まざるユーモアを感じたのが発見であった。本書でも、随所でくだけた表現が見える。「島尾敏雄さんの『死の棘』に携帯があれば、これはもっと地獄でしょう。連絡が取れない方が幸せなこともあります」などと言ってのけるところは、まちがいなく聞き手を楽しませようとする態度だ。これは、私が知るかぎり、古井の文章にはついぞ見かけなかった美質である。
ほかにも感心させられたところはたくさんある。付箋を貼ったところを探すと、こんなところにも。
「通俗に流すのも、年をとればうまくなるものです。ここでは謝っておいて、通俗に流しておいた方がいいという判断が、老獪になってゆきます。もちろん、通俗にはたくさんの知恵が含まれており、自分の創意などよりはるかに優れている場合が多い」
表現者としての四十年が、実人生の体現者としての四十年と、ここでうまく重なって、ビジネス書の手軽な生き方指南では見られない、人生の手触りのようなものを感じることができる。「老境に入って身体が多少衰えると、書く方には有利なこともあるんです」などと言われると、年を取るのが楽しみにもなってくるのだ。
『人生の色気』はこれまでになく、作家古井由吉を身近に感じることができる一冊である。こうなれば、未読の『槿』を、『白髪の唄』を、『野川』を読んでみようという気になってくる。ならない、というのはウソだろう。