始めの一文で、おやっと思わせてくれるミステリが好きだ。「わたしは一人の男を殺そうとしている」(ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕)とか、「ユーニス・バーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである」(ルース・レンブル『ロウフィールド館の惨劇』〔角川文庫〕)とか。読み手の好奇心をいやが上にも高め、一気に物語世界に没入させてくれる、そんな優れたすべり出しの作品に、まず外れはない。
ルース・フランシスコの『暁に消えた微笑み』(ヴィレッジブックス)も、正にそうした一作だ。「あの腕は、ほんとはおれが見つけた」。ページを開いた瞬間、この冒頭の一文に目が釘付けになってしまった。一体、何が起きたんだ? さらに、「もう一方の腕は、ここから七マイルほど北の、マリブ・ビーチに打ち上げられた。両腕以外は、サメにでも食われちまったにちがいない」と、続いて行く。何とも胸を騒がせるオープニングである。
読者にはすぐに、この“おれ”が、ロサンジェルスに住む貧しいメキシコ人で、ヨットハーバーで有名なマリーナ・デル・レイで釣りをするのが趣味なこと。不法移民ではないけれども警察と関わりたくはないために、事件を通報しなかったことが知らされる。そして腕を発見するまでの顛末が数ページにわたって語られた後、“おれ”の独白は、幕開けと同様、ショッキングな一文で幕を下ろす。そう、「急に思い当たったんだよ――あの腕の持ち主は、おれの知ってる女だったことに」、という一文で。
この見事なつかみの後、時間は一旦過去へと遡り、視点が当の女性、ローラ・フィネガンに切り替わる。ある日、誰もがうらやむ理想の恋人スコットに殺される夢を見たローラ。あまりの迫真性から彼女は、典型的なLAボーイ――ハンサムでスポーツ万能、ユーモアのセンスもあり、気配りができて、女性を大切するタイプ――である彼が、実は怖ろしい人間なのではないかと思い始める。
一方、そんな恋人の疑念など夢想だにしていないスコットは、祖母から譲り受けた大切なダイヤの指輪を携えローラにプロポーズしようとした矢先に、彼女から別れ話を切り出されてしまう。「夢で殺されたから」という理由に、まるで納得のいかないスコット。やり場のない怒りと悲しみに囚われた彼は、ローラの気持ちを取り戻すべく画策するも甲斐なく、徐々に過激な行動に走り出す。身の危険を感じたローラは、LAPD(ロサンジェルス市警)の部長刑事レジーがパートタイムでインストラクターを務める護身術のクラスに通い始め、さらには彼に手伝って貰い、スコットの接近禁止命令を裁判所から取りつける。
執拗に愛を乞う男と、追いつめられ怯える女。二人の逼迫した関係が臨界に達したある夜、ついにスコットは、取り返しのつかない一歩を踏み出してしまう。
ここまでが第一部。わずか60ページで、悲劇の萌芽を急速に成長させ、ついには冒頭の不気味だがどこか官能を刺戟するシーンへと至る過程を描くルース・フランシスコの筆運びの、なんと巧みなことか。彼女は、ローラ、スコット、レジー、そして“おれ”と、主要登場人物を紹介しつつ、視点を切り替えるたびに急速にギアをチェンジして、ストーリーを加速させ、読む者の心をがっしりとつかみ、あっという間に物語世界に引き込んでしまうのだ。
一体、この後450ページにわたってどんな物語が展開されるのだろうかと、いやがおうでも高まる期待は、裏切られることはない。第二部以降、次々と明かされる意外な事実に翻弄されつつ、一気にエピローグまで読み切ってしまうことだろう。特に、スコットによるローラ殺害を確信した彼女の親友ヴィヴィアンが、ニューヨークからロサンジェルスに乗り込んできてからは、物語により一層ドライヴがかかり、巻を措くことができなくなってしまうに違いない。
ローラという美しくもどこか謎を秘めた女性に心を奪われてしまう、三人の男と一人の女。彼らの想いを通じて、徐々に浮き彫りにされていく不在のヒロイン・ローラの圧倒的な存在感を背後に感じつつ、この上質なサスペンスに酔いしれてみて欲しい。