作家のエリザベス・ギルバートは二十代半ばで作家としてデビュー。日本でも出版された処女短編集『巡礼者たち』(新潮クレスト・ブックス)が数々の文学賞に輝くなど、順調なキャリアを築いてきた。結婚し、ニューヨーク郊外の素敵な一軒家に旦那さんと暮らし、小説やノンフィクションの記事を書く日々。
三十代の女性としてはこの上なく充実した生活に見える。しかし、彼女はバスルームに籠もって泣いていた。結婚生活は既に破綻しており、次なる人生のビジョンも見つからず、精神的に「迷子」になってしまったのである。
更に離婚の過程で知り合い、運命的な恋に落ちた(と、少なくとも本人は思っていた)男性との付き合いが終わりを迎えると、ギルバートはもう自分の力では立ち直れないほどボロボロになってしまう。自己啓発の本を買い、ヨーガをやり、セラピストに通い、「オレンジ色のブラジャーを身につけてポジティブになれ」とそこでアドバイスされれば従い、それでも抑鬱状態は変わらない。
自分はどうしたいのか。どうすれば幸せになれるのか。いくつかの巡り合わせから、ギルバートは非常に大胆で大がかりなことを思い立つ。やりたいことをやるために、一年間時間を取って海外に行こう。最初の四ヶ月はイタリアに行ってイタリア語を学び、次の四ヶ月はインドで自分が尊敬するグルの寺院に行って修行をし、そして最後はバリ島に行って治療師(メディシンマン)のそばで暮らすのだ!
本国のみならず、全世界でヒットして累計七百万部を売り上げたというこの体験記は、疲れた女性たちがよく口にする「自分探しの旅」のデラックス版である。生きる力を取り戻すために、それだけのことをしようとするバイタリティにまず驚いてしまう。しかし、「美しい夕日と寺院を見て癒された」だの、「地元の素朴な人々との交流で目覚めた」だの、「厳しい自然を見て自分の悩みなんてちっぽけだと気がついた」といったような安っぽい内容ではないので安心して欲しい。
ネガティブな思考が止まらず、自分で自分を傷つけてしまう女性が救われたいと願う、その思いは非常に切実である。その対処の仕方も、知的で深い。何よりもエリザベス・ギルバートは作家として優秀だ。心の変化を時としてあけすけといえるほど正直に、そしてユーモラスに綴った文章は、彼女の個人的で特別な体験を普遍的な「内なる旅」のガイドへと変えた。
おいしいものを食べて、美しい言語だからという理由でイタリア語を学び、目的もなく歩くローマに心をときめかせることによって、荒廃した精神にプリミティブな「歓ぶ心」を呼び覚まそうとするイタリア編はまだ、それでもちょっと甘い。やはりこの本が面白くなるのは、彼女がインドの農村にある寺院で修行に挑むインド編である。
洞窟で瞑想し、寺院でサンスクリット語のマントラを唱えるなんて、あまりに…そう、スピリチャル過ぎやしなだろうか? そう思う人も多いかもしれないが、しかし、ヒンドゥー教は多くの人を受け入れる宗教なので、ギルバートが寺院にいる間にもヨーロッパやアメリカ、アジアから様々な人たちがインド人に混じってヨーガ修行にやってくる。
油田の労働者から始めて様々な職を転々とし、ジャンキーになったこともあるという中年男「テキサスのリチャード」も、そんな“ヨーガ修行にインドになんぞ来そうにない人物”の一人だ。ギルバートは彼と仲良くなり、どう見てもニュー・エイジ的な思想とも、インドとも合いそうにないこの荒くれ男がちゃんとヨーガ修行と人の心の本質をつかんでいることを知る。
ヒンドゥー教のことが分からなくても、この章は面白いし、ある意味では「使える」。どのように自分の内部と向き合い、エゴを追い払い、自然の声に耳を委ねて、不安や憎悪のネガティブなスパイラルから身を守るべきか、かなり具体的なメソッドを持って書いてあるからだ。自分の存在の本質を知る内なる神を、ここでは「至高の存在(スプリーム・セルフ)」と呼んでいる。別のところでは「高次の自分(ハイヤー・セルフ)」ということもある。そういう考え方にはついていけない、と思う人はこう考えるといいかもしれない、それは「未来の自分」である、と。
エリザベス・ギルバートは、まだ結婚していた頃、バスルームの中で泣いていた時に声を聞いた。「ベッドに戻りなさい」。それ以来、彼女は祈り、自分自身の声を聞いてきた。「あなたを愛してる。あなたをぜったいに見捨てない。あなたのことは、わたしがいつも引き受ける」。
ギルバートはバリ島で思いがけないロマンスを見つけることになるが、旅の最後に得た充足感と幸せについて、「わたしはけっして王子様にすくわれたわけでは(ない)」ときっぱりと宣言している。「この自分を救い出す作戦の司令官はわたし自身だった」。
スケールの大きい「自分探し旅行」は真似できなくても、本を読むことによって彼女と一緒に旅をすれば、あなたもまた自分を導く「未来の自分」の声を聞くことが出来るかもしれない。