国産ミステリー界に話題作はつきものだが、湊かなえのデビュー作『告白』が近年最大級の“それ”だったことは間違いない。第二十九回小説推理新人賞に選ばれた「聖職者」を第一章として、雑誌に掲載された第二章と第三章、書き下ろしの第四章から第六章を加えた『告白』は、二〇〇八年度の『週刊文春ミステリーベスト10』の第一位(および『このミステリーがすごい!』の第四位)に輝いたベストセラー。語り手を次々に切り替える手法、刺激的なプロットとクライマックスなどが――マニアのみならず――広範な読者層の支持を集めたのは記憶に新しいところだ。
簡単なプロフィールを記しておくと、湊かなえは一九七三年広島県生まれ。武庫川女子大学家政学部卒。二〇〇五年に第二回BS−i新人脚本賞に佳作入選。二〇〇七年には第三十五回創作ラジオドラマ大賞を獲得している。脚本やラジオドラマでの受賞歴を考えれば、一人称の“語り”の巧さも納得がいくというものだろう。
しかし――特徴的な文体と話題性は諸刃の剣でもある。デビュー作の印象が強ければ強いほど、著者には過剰なまでの期待が寄せられる。そして(よくある話だが)そのハードルは容易には越えられない。湊の場合も例外ではなく、剣呑なムードと破壊力を備えた『告白』のインパクトが、それ以降の作品では薄れた感が否めないのである。
具体的に見てみよう。第二長編『少女』は“死に対する興味”を描く物語だった。「親友の死体を見た」と友人に聞かされた女子高生――桜井由紀と草野敦子は、他人の死を目撃するために夏休みを費やそうとする。桜井は病院のボランティアで重病の少年に出逢い、草野は老人ホームの手伝いを始めるが、二人の周囲には無数の悪意が渦巻いていた。香典よりもファッション雑誌を優先させる少女の感性を介して、全編にブラックジョークの気配を漂わせた筆致は秀逸だが、地味さゆえの“生々しさ”が読者を選ぶのはやむを得ないところだろう。
続いて刊行された『贖罪』では、ドラマの焦点が過去に据えられている。田舎町に暮らす四人の女子小学生たちは、眼前で誘拐された少女エミリの暴行死体を発見した。エミリの母親に「犯人を捕まえるか償いをしろ」と求められた四人は、成長後に新たな悲劇を引き起こすことになる。一章ごとに語り手(および聞き手)をシフトさせ、各人の過去とパーソナリティを活写することで、著者は贖罪の本質を追究していく。救いのある結末は良識的とも言えるが、前二作のテイストを求めた人にとって、この着地点はむしろ予想外だったかもしれない。
前置きが長くなったが、最新作『Nのために』はこんな話である。東京都内のタワーマンションの一室で、会社員の野口貴弘とその妻・奈央子の変死体が発見された。夫妻の知人である大学生・杉下希は凶器を持った西崎真人を見たと証言し、西崎は――自分と愛人関係にあった――奈央子を殺した野口にその場で復讐したと自供する。共通の友人である安藤望はその直後にマンションを訪れたと述べ、各人の証言に矛盾が無いことから、西崎は懲役十年の判決を下される。しかし真相は別の所に隠されていたのだった。
リアルタイムの推移を描く『告白』や『少女』とは対照的に、本作では(『贖罪』と同じく)複数の語り手によって“過去の事件”が立体化されている。西崎の短篇小説を挿入するという趣向はあるものの、プロットが比較的シンプルなのは、関係者たちの「N」に対する想いこそが作品の柱だからだ。彼らは自分のためではなく、他人のためのエゴに基づいて行動し、その連鎖が悲劇を錬成していく。十年前を回想するという体裁を採っているのも、全体のプロセスを客観視させるための演出に違いない。つまり本作は『告白』の裏返しなのである。
ダークな笑いやスピーディな展開といった『告白』風味を求める読者にとって、本作は期待通りのテキストでは無いかもしれないが、古典的な「藪の中」様式を活かしたユニークな恋愛小説であることは確かだろう。複数の語り手を操る“湊スタイル”から、どんな物語が生まれ得るのか――それを見守るのもまた一興。雑誌のインタビューで「『告白』が代表作でないようにしたい」と宣言した著者からは、まだまだ目が離せそうにない。