著者、大川渉は1959年、大阪生まれ。私と同じ大阪育ちというのがうれしい。私は、旅先などでも、大阪出身と聞くとそれだけで心を許してしまう悪い癖がある。この『東京オブジェ』も、私は読む前から心を許していたので、これから上手く読めるか自信がない。でも考えてみると、大川渉が大阪出身かどうかなど関係ないのかも知れない。大川渉には、織田作之助の短篇を集めたアンソロジーがあって、私はその文庫が大好きなので、それを読んで以来、彼の仕事に注目してきたのだから。
ちくま文庫、なかなかやるなあ、と読了後、カバーを見て思った。カバーに書かれている巧みなことばに感心したのだ。まず、「人と歴史をさがしに」と、タイトルの横にある。確かに大川渉はこの本で人と歴史を探している。取り上げられている人は数多く、かつ魅力的だ。例えば、竹久夢二、長谷川利行、岡本太郎、岡倉天心、樋口一葉、太宰治、伊藤左千夫、正岡子規、王貞治、たこ八郎、力道山、ジョン・レノン、滝廉太郎、升田幸三などなど。巻末に登場人物の索引があればいいのに、と思ったぐらいである。また人だけでなく、カラフト犬や名馬ハイセイコーなども探しに出かけているのが楽しい。
帯には、「町で見つけた意外な歴史!」と大きく書かれている。これもピッタリな言葉だ。私が知らなかったのは、太宰治のところで触れられている、玉鹿石のことで、玉川上水わきに置かれたその石は、太宰の入水した地点を示しているのだという。その隣にあるプレートには、ただ「玉鹿石 青森県北津軽郡金木町産」と書かれているだけらしい。私の理想をいえば、何かをさがして歩くというのでなく、散歩の途中でふとこのような石にぶつかりたいと思う。そのときいろいろ考える、そのような町歩きもしてみたい。
将棋指しの升田幸三と大山康晴の話もよかった。二人とも大阪の木見金治郎門下で、共に修業時代を過ごしたあと名人位を争うようになる。升田は、十三歳のとき無一文で家出する。一方の大山は、郷里で天才といわれ家族や地元の人たちの盛大な見送りを受けて大阪にやってくるのだ。升田幸三の方が先輩で棋力も上であったのだが、徐々にその差もなくなってくる。
二人には数々の名勝負があるのだが、そのなかでも大一番というのがあって、大山はのちに、〔この一戦が私と升田さんの棋士としての将来を分けたのではないか〕と書いているぐらいの大一番であった。名人戦の挑戦者を決める三番勝負だった。一勝一敗のあとの第三戦。ほぼ升田幸三の勝利が見えていたのだが、大逆転で大山の勝利に終わった。
一瞬のちょっとした判断がその後の人生を決める。その一瞬のために修業するのだろうが、学びとれないものもあるだろう。例えば、おれは無一文で親を振り切ってこの世界に入ったのだ、恵まれた大山になど負けはしない、という強い気持ちでさえかえって災いすることもあるだろう。大山の言葉でもわかるように、この勝負のあと、将棋世界では勝利した大山康晴の時代が始まる。升田幸三の墓には、「新手一生」の文字が刻まれているという。
大山康晴の強さより、升田幸三の辿らざるを得なかった人生について考える方を好むのは、なぜなのだろう。大川渉は、そのことについてこう書いている。日本人は。記録より記憶に残る者を好む、と。私たちは棋士ではないので、一瞬で人生が決まるという経験はしなくて済みそうではあるが、そんな一瞬のことを考えてみるのも、意味ないことではないだろう。
カバーの裏には、このような言葉がある。〔東京には忘れられた歴史がいっぱい。実際に町を歩き、歴史が刻まれたオブジェ(物体)を発見することでもう一つの歴史を実感できるのだ。〕――歴史を本やネットで調べることも大事だが、この文章にもあるように、歴史を実際に実感する方がより楽しいのに決まっている。
大川渉は「まえがき」で、携帯のおかげで待ち合わせで会えないことが無くなったがそれはいいことなのだろうか、という意味のことを書いている。待ち合わせで会えなくて、ひとり淋しくぶらぶら帰るのもまたいいものだと私もいいたい。会いたかったなあ、という気持ちも余韻として残り、思うようにいかないことも学べばいいのだ。
大川渉は、古本屋で集英社版『日本文学全集』を見つけると、まとめ買いはせず、そのなかの一、二冊を購入するという。古本屋に行くのは、ウオーキングも兼ねているのでゆっくりと全巻揃える方が歩く距離も増える、というのだ。全集にはそれまで読む機会がなかった名作が入っているので、それらを読めるのもいいと書いている。本の買い方も読み方もこの人、大川渉らしいと思った。