むかし、関口良雄という人がいた。
東京は大森にあった古本屋「山王書房」の主人で、自分の生れた大正時代の本をこよなく愛した。古本がぎっしりとつまった「山王書房」の本棚には、無名時代の野呂邦暢が通いつめ、店先に三島由紀夫がだしぬけに現れれば、尾崎一雄がやってくる。その扁額は尾崎士郎が書いた、という目のくらむような古本屋をつくった。
本書は、本を熱烈に愛する、つまり変人が、文学を猛烈に愛する、やはり変人について書いた随筆集である。本を愛する人の一生が、一冊の本の中に息づいている。
尾崎士郎が主宰した『風報』に掲載された「正宗白鳥先生訪問記」(昭和三十四年十二月)にはじまる一連の随筆に加え、『中央公論』や『古書月報』などに書き継いできた作家との交歓など、半径5メートル以内にある平凡な日常を、非凡な視線で書き留めている。
例えば、本を買いに行った話や、印象深い店先の話が書き留められた「某月某日」(『可卦喇』、『古書月報』所収)という日記形式の随筆がある。
大森海岸に本を買いに行けば、出された本のどれにもW大学文学部○○生と書いてある。息子さんの了解を得なくてもいいんですかと聞くと、息子は去年の夏交通事故で死んだという。
年少の頃から人生に疑問を持ち、その答を読書に求めたという吉田老人は、ぎっしりと書きこみを入れた親鸞、道元、ソクラテス、カント、サルトル、小林秀雄などの本を売りにくる。今でも夜更けの二時まで密教書を読み、八十歳までに本を一冊出したいが、出したら読んでくれ、といったまま消息を絶つ。
昼休みに必ず本を「見に来る」近所の社長さんと話せば、
「どの本をとってみても皆値段がついているが、全部読んでからでないと値はつけられんだろうね」
「その通りです。全部読んでみなければ値はつけられません」
と、したり顔。まるで店先での会話が目に浮かぶようだ。
いつもマラルメやボードレールの原書の詩集をウィスキーの瓶と一緒に持ち歩いている「トルストイの爺さん」や、大好きな本を一字一句たがえず暗誦する博覧強記の植字工のKさんなど、頁をめくるたびに、予測不能な客が突然現れて、短編小説のような物語を残して去っていく。
作家との交歓を綴った随筆も数多いが、その白眉は「二冊の文学書目」(『上林暁全集月報所収』)に尽きる。著者は、上林暁と尾崎一雄の文学書目をつくった。それは単なる思いつきではなくて、古本屋としての商売でもなくて、ただひたすらに作品から受けた感動が、一途に敬愛する作家へと駆り立てた結晶だ。
文学書目を作るということは、初版本のみならず、並製と上製、果ては異装本、つまり全著書を集めるということでもある。いくら好きだからといっても、一人の作家の全著書を集めるということは容易なことではない。特に戦中戦後の本は、造本が悪かったり、この世に二冊しか存在しないという伝説をもつ永井荷風の『ふらんす物語』(明治四十二年発行)の例をひくまでもなく、戦災があったり、出版社の倒産などで本が散逸し、この世に存在していない可能性もある。実際に、古本屋の著者でさえ、上林暁の『花の精』と函入りの『田園通信』、尾崎一雄の『暢気眼鏡』の異装本は手にいらなかったという。書物蒐集の物語が単に苦心談で終らず、本の探求を通じて、書物出生の物語へと広がり、その作品の背後にある時代を照らしだしていく展開は見事というほかない。人の手から人の手へと渡り歩く古本の運命は、生きている人間と同様、まぎれもなく、その時代を生きている。
著者は、店を閉めたあと、電灯を消した暗い本棚を眺めているのが好きだという。本を愛する人なら、この言葉に説明は不要だろう。自分が愛するものが整然とならんでいる。当然、本は、ただならんでいるだけではなくて、何がしかの秩序を内側に秘めている。その物語は、持ち主と本にしかわからない、ごく親密なものだ。本から人へ、人から本へ、本のつむぎだす物語が星座のように頭の中をひろがっていく。
「古い本には、作者の命と共に、その本の生まれた時代の感情といったものがこもっている」
と著者はいう。三十二年の歳月をへて復刊された本書に、そっくりそのまま、この言葉を捧げたい。