★健全育成条例と『ハーモニー』
本書はハードカバーで発売されたのが2008年、文庫で出たのがつい昨年の2010年12月で、パリパリの新刊であるにも関わらず、私が手に取った文庫本はもう三刷を数えておりました。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている、今もっとも旬なベストセラーです。
なんだ、それじゃお前ごときが紹介する必要ないだろ、と思う方も多いかもしれません。けれども、ここで私がご紹介しておきたいと思ったのには理由があります。というのも本書はSF小説として書かれているにも関わらず(というかその故にこそ)、現代社会の抱えるさまざまな問題が、ノンフィクション以上に深く抉りだされているからです。
たとえば先般、東京都で成立した青少年健全育成条例のさまざまな問題点について考えている、いわゆる「非実在クラスタ」のみなさんには、是非本書を読んでいただきたい。というのも本書では、先般の条例に代表されるような過剰な潔癖さが、全地球を覆い尽くした未来が舞台だからです。
性や暴力が徹底的に隠蔽される社会がどのような姿となるか、本書はきわめてリアリティーに富んだ未来像を描き出しています。ある種の人々にとってはユートピア的に見える社会像かもしれませんが、少なくとも私にとって、それは慄然とする未来予測でした。しかも本書が恐ろしいのは、それが単なる絵空事でなく、かなり現実味のある話だからです。
★子を持つ親御さんたちに
本書の描く未来では、援助交際や自傷のような行為も非難され、ほぼ絶滅しています。確かに援助交際にせよ自傷にせよ、傍目から見れば単に不毛な自罰的行為に見えるでしょう。でも、そうしたものが一切姿を消した社会というのは、やはり私には不気味だし、窮屈な社会のように思えます。
私は以前、自傷癖を持つ人たちのコミュニティーと、実際におつきあいしていたことがあります。そのとき私が知ったのは、彼らは自罰的な振る舞いをあえて取ることによって「自分の体が自分のものである」という状態を、必死になって取り戻そうとしているのだ、ということでした。
彼らの多くは虐待やいじめなどのストレスによって、自分の身体の管理権を奪われたように感じ、そこから自分の身体を奪い返すために、そうした行為に耽っていました。こうした考え方はハードピアッシングや刺青のような、身体改造系の人々の一部にも共通しています。また、ひょっとすると援助交際をする女の子たちのなかにも、そうした気持ちが潜んでいるのかもしれません。
もちろん私は援助交際や自傷が健康的な行為であるとは思いません。けれども彼らが共通して抱える「自分の体を自分に取り戻したい」という気持ち、そして「そのためには自分が傷ついても構わない」という切実な気持ちは、やはり無視できないもののように思います。それは過激なスポーツや武道の鍛錬、あるいは宗教的な修行に実は似ていて「自分を痛めつけることで自分を再確認したい、自分を強く鍛え上げたい」という心理の表れなのです。
最近、ラグビーやアメフトなどのクラブには「うちの子にケガをさせたらどうするつもりか」などと、保護者がしばしば怒鳴り込んでくるそうです。こうした親御さんの心理の行き着く先が、ここに描かれるソフトな身体管理の社会なのだと思います。子どもの健全な成長は誰もが願うことですが、そのためには子どもが自分自身の身体を痛めつける機会も必要なんじゃないか。そんなことを本書は考えさせてくれるのです。
★生命倫理を考える方々に
このように本書の描く未来社会は、人間に対しては真綿にくるむような管理を行う一方で、動物に対しては何の倫理観も持ち合わせない、冷酷な振る舞いを見せる社会として描かれています。
たとえば本書の最後の方には、機械と山羊が融合した、異様な六本足の乗り物が登場します。この乗り物は本書の中では、ほんの小道具的に描かれるだけですが、現代社会への重大な警告にもなっています。というのも、この機械山羊は、馬の脳から培養した細胞を電子回路の上に増殖させた、人工脳で動いているからです。驚いたことに現在こうした機械生物は「アニマット」と呼ばれ、実際にかなりの段階まで開発が進んでいるのです。
詳しくはこちらの雑誌に掲載された拙稿「タナトス機械からエロス機械へ」をお読みいただきたいのですが、コンピュータのチップ上にラットなどの脳細胞を培養した「神経細胞デバイス」の開発は、いまアメリカで急速に進んでいます。あまり一般には知られていませんが、アニマットはほとんど実現寸前のところまで達しており、ターミネーターやブレードランナーに出てくるような人造兵士さえもが、巨額の予算を費やして開発されようとしているのです。
自分でコースを考えて走行するロボットや、指令通りに飛行する昆虫や鳥、さらにはハリケーン並みの嵐が来ても飛行できる、人工脳を持ったジェット戦闘機など、きわめてグロテスクなアニマットの研究が、いま多くの研究機関で実際に進行しています。こうした研究の拠点の一つは米国国防総省にあり、多数の軍産複合体が、その研究に取り組んでいます。機械山羊の登場する場面は、こうしたアニマット研究の戦慄すべき現状を、かなり正確に反映している。ターミネーターにおける「審判の日」は、絵空事でもなんでもないのです。
★そして、すべての方々に
このように本書に描かれている社会の姿は、表面的には何の揉め事もアクシデントも起こらないが、その実は人の感情や生命に対して、ひどく鈍感で傲慢な管理を行い、生命の尊厳を踏みにじる、おためごかしに満ちた社会です。けれども既にここまで見てきたように、私たちの社会は本書に描かれたグロテスクな社会への道を、既に何歩も歩みだしています。
本書の最後にはあっと驚くどんでん返しがあり、単純に読み物としても非常に面白い書物となっています。けれども本書はこれからの社会を考える上での、非常に示唆に富んだ手がかりを提供してくれる一冊でもあります。私はこの本をもっといろんな人々に読んで欲しい。科学者に、思想家に、芸術家に。政治家に、教育者に、親御さんに。それぞれの人々がそれぞれの立場から本書を読み、未来の社会の姿を真剣に考えて欲しい。私はそんなふうに思っています。