歌人・枡野浩一に『あるきかたがただしくない』(朝日新聞社)というエッセイ集の著書がある。これは、どんな話題で書き始めてもだいたい最後は前妻との離婚話にたどりついてしまうという奇跡のような本で、「生まれて初めてパチンコをやった」という出だしからそこに行く道筋を、普通の人は思いつけない。みんな読むべきである。
まあ、それはそれとして、「ただしくない」あるきかたがあるのなら「ただしい」あるきかたとはなんだ、と考えてみたのである。
あるのかそんなものが、と問われれば「ある」。
それは落語家・立川談四楼の自伝小説『シャレのち曇り』に出てくるあるきかただ。
この小説の主人公はほぼ談四楼本人なのだが、高校生の彼が立川談志に憧れて浅草演芸ホールを訪ねる場面がある。決死の覚悟で弟子にしてくれといった談四楼を伴い、談志はホールを出る。そして「後ろに従い、遠慮がちに歩く」談四楼に、言うのである。
「坊や、後を歩くな。そうやって後を歩かれたんじゃ話がしにくくってしようがない。何か言う度に僕が後を振り返らにゃならん。斜め前を歩いてくれ。少なくともその方が僕にとって親切というもんだ。必要に応じて君が振り向けばいい。僕に神経を使わせない。それがマナーと言うもんだ」
目上の人と歩くときは、自分が斜め前を歩く。
それが極めて合理的な「ただしいあるきかた」だ。
立川談志という人の、こういうところが私は好きである。他人に対する気遣いというものをいつも持っていて、それを自分で実践するし、自分の身内、特に弟子には徹底させる。そうして気を配った空間が、嘘のない、心地よい空間になるという信念があるのだ(立川談志と落語立川流についてはエキサイト・レビューに書いた この記事 を参照いただきたい)。
立川流の一人に立川談幸という真打がいるが、彼は気難しい談志が唯一内弟子になることを許したほど、気配りの巧い人であるらしい。談幸が真打昇進を果たしたとき、談志が書いた挨拶状にこうある。
――数多い弟子の中で談幸は師弟の生活において〈完璧〉でありました。
文字通り「完璧」なのであります。それが証拠に談幸のみが私の弟子の中で過去唯一の内弟子であった。と言うことは人間生活の感情行動が見事に解る特性があるのです。談幸の対人関係も完璧に近いものと想像できます。
祝儀の文面で割り引くとしても、これは大した嵌まり方というべきだろう。
その談幸が自身の修業時代と、師・談志の言行録とを『談志狂時代Ⅰ・Ⅱ』(うなぎ書房)にまとめている。洒脱な(そして駄洒落の多い)、気の利いた本であり、他の書には出てこない、談志の考え方、姿勢が出てきておもしろい。談幸の、師の言行を肯定する気持ちが素直に表明されていて、私は読んでいて心地よかった。いくつかエピソードを抜粋し、紹介してみる。
弟子入りの日の話。
――談志がティッシュペーパーを取り出して痰を吐いた。私はすかさずその丸めたティッシュを談志の手から受け取ろうとした。すると談志は私の手を制して言った。
「いや、これはいい」
談志は自らのポケットの中にそれをさり気なくしまい込んだ。
弟子といえどもこういう不浄なものは始末をさせないという、談志の清潔さに対するポリシーをそこに感じた。
談志の考える「無理」のレベルがよくわかる話。
――ドシャ降りの雨の中、傘を持ってない弟子に師匠は、
「タクシーを拾ってこい」と命ずる。
弟子が「傘がないので濡れちゃいます」と言うと、
「だからおまえが拾ってくるんだ!」
と一括。
なるほど。道理である。決してできないことは言っていない。
前述したように談幸は弟子の中で唯一住み込みの内弟子になることを認められ、しばらくの間、談志が練馬に買った家で二人暮らしをしていた(談志の家族は、郊外に引きこもるのを嫌って、新宿のマンションに帰ってしまった)。談幸はそこに個室を与えられていた。
――しかし、師匠は私の部屋を無断では決して覗かなかった。弟子のプライバシーを大事にしてくれた。私に用があるときは、部屋の外から声を掛けた。たった一度だけ、夜中に師匠が私に用があって、声を掛けてから私の部屋を済まなそうに、そーっと開けた。そして、覗いた。私に用を言いつけ終わると、師匠は蚊の鳴くような声で、
「たまには掃除をした方がいいよ」
と言った。見てはいけないものを見てしまったかのように申しわけなさそうに言った。いえ、申しわけないのは私の方です。そうと思いつつも、やっぱり掃除はしなかった。
あの談志が「蚊の鳴くような声で」弟子にものを言っているという場面を想像するだに可笑しい。師弟の二人住まいは二年半続いたそうで、談幸はその間、師匠と「同棲」中と称して、笑いをとっていたという。
『談志狂時代』を読むと、おぼろげに「ただしいあるきかた」の輪郭が見えてくるような気持ちになる。相手の近くぎりぎりまで踏み込み、決して踏み込みすぎないような距離のとり方。自分は「あるきかたがただしくない」と思っている人は、ちょっと読んでみるといいと思う。
もっとも立川流にも「あるきかたがただしくない」人はいて、前座生活を十六年半もやってしまった、立川キウイがそうだ。そもそも、弟子にしてくださいと嘆願し、「百万円貯めてからきなさい(前座修業の間はほとんど無収入になってしまうため)」と言われてバイト生活に入ったものの、金を作って談志の元に参上するまで、キウイは四年もかかってしまっている。たいへんな貧乏国でバイトをした、のではなくて、フリーター生活が楽しくなってしまい、ついつい時が経つのを忘れてしまったのだ。竜宮城か。そのへんからして、すでに「あるきかたがただしくない」。
立川キウイ『万年前座』(新潮社)は、そんなどこか抜けた前座だったキウイが、二つ目昇進を果たすまでを書いた自伝エッセイだ。ちなみに、この本が売れたために談志に評価され、2011年中の真打昇進を認められた。やることなすことがことごとく、談幸とは正反対の迷走ぶりなのだが、「ただしくない」ゆえの回り道を大きくしながら、結局は「真打」という「ただしい」場所に到達できたということは、これはこれでただしかったのかも、と思わされてしまう(勘違いかも)。
談幸のようにできればいいな、と思いつつもなかなか難しく、たいがいの人はキウイのように大事な人から「いい可限にしろ」と言われてしまうものだ。
自分のあるきかたはただしくないが、まだあきらめるほどでもない。
そのくらいが、ちょうどいい心構えなのだろう。
付記:強化週間、本日は芸談エッセイについて書いてみた。私は落語家の書いたものが好きで、暇があると本を引っぱりだしては、関心のあるところだけを読み返したりしている。そういう風に手垢のついた愛読書というものを書評するのも、もしかすると楽しいのではないかと思ったのである。