久住昌之が原作を書いている、水沢悦子『花のズボラ飯』(秋田書店)という漫画がおもしろいと聞いてアマゾンに発注をかけたところ、既に品切れになっていた。発売直後だったはずなのに。ようやく届いた本を見たら、すでに七版を数えていた。そんなに売れていたのか。
この漫画、ろくにレビューを読まずに、独身女性がズボラを決めこんで横着な食事を作る話だと思っていた。独身女性というのと、横着というのは、はずれ。主人公が一人暮らしをしているのは夫が単身赴任をしているからで、ズボラとはいうものの紹介されている料理のほうは結構まともだった。本当の横着者はポトフを作ろうなんて思わない。レシピを厳守するのではなく、そのへんにあるものをうまく利用した「適当飯」ということか。ズボラ飯というコピーに騙された。いいセンスである。
女性が結婚をせずに独身でいること、に対して、過度な意味づけをしたがる人というのはいるようである。酒井順子『負け犬の遠吠え』はそのへんの偏見を逆手にとったうまいカウンターパンチだったと思うのだが、「負け犬」という言葉は著者の意図から離れて一人歩きした。挑発的な感じがあって、ビジネスに利用しやすかったということだろう。「婚活」とか「女子会」みたいに。
益田ミリ『結婚しなくていいですか』が刊行されたのは二〇〇八年のことで、『負け犬の遠吠え』が引き起こした波はすでに過ぎて、上野千鶴子『おひとりさまの老後』が話題になっていた時期だった。二〇〇六年に刊行された『すーちゃん』の続篇にあたる作品で、森本好子ことすーちゃんが主人公である。すーちゃんは一人暮らしをしている三十五歳、職業はカフェの店長だ。彼女は、ふとしたことから自分の老後の暮らしというものに目覚めてしまう。現在の貯金は二百万円ちょっと。やはり、その先が気になることもあるのだ。
――老後が/遠い未来が/今ここにいるあたしをきゅうくつにしている
「老後め!! よし決めた ヨガ習う」
すーちゃんは、旧友のさわ子さんと町で再会する。さわ子さんも独身だが、すーちゃんと違って、家族と一緒に住んでいる。母親と、要介護の祖母との三人暮らしだ。彼女にお見合いの口を持ってきてくれた人がいた。母親はさわ子さんに気を遣って、その話を断ったと告げる。相手の男性には離婚歴があったのだ。
「バツイチは嫌なんでしょ? 断っといたわよ」
――前は嫌だったけど/今は「有り」って思ってる/でも、なんとなくそういうことも言い出しにくい/あたしが結婚してしまったら/お母さんはおばあちゃんとふたりきりになってしまう/このまま歳とっていくと、あたしはどうなるんだろう?
『結婚しなくていいですか』は、この二人の女性を対比しながら描いていく作品だが、題名の「結婚しなくて」の比率は、どちらかといえばさわ子さんの方が高い。彼女には、「その先」を意識する男性ができるからだ。
最初に本書を読んだとき、すこぶる意外な気分にさせられた。すーちゃんとさわ子さん、二人の女性の生き方を淡々と描いているように見せて、作者はおもしろいことを仕掛けているからだ。コミックスの終盤に、二人の人生の軌跡がぱったり交わる瞬間がある。もちろん、それまでも二人はたびたび会い、近況を話し合ったりしているのだが、その瞬間に思いがけない化学反応がある。一方の人生が、もう一人にとっての裏づけとなるのだ。『結婚しなくていですか』という題名の真意は、そのときになって初めて判明する仕掛けなのである。
私は益田の作品をすべて読んでいるわけではないし(エッセイはかなり目を通していると思う)、また漫画の描画について専門的な意見を述べられる立場にはない。なので偏った見方だと自覚して言うが、この作品で用いられている手法は、ミステリーでいうところのミスリードに近い。誰もが目を引かれるのは「結婚」の二文字なのだが、それに目を向けておいて、実は違う方面のことを作者は書こうとしている。ここでそれを書くことは控えておくが、すーちゃんとさわ子さんについて、先に引用した箇所でなんとなく判っていただけるのではないかと思う。
小説にはない漫画の利点に、キャラクターの表情を記号として用いて、そのときどきの感情を表現することがある(小説には小説で、漫画にはない利点がちゃんとある)。益田の書くキャラクターは簡略化されたものなのだが、きちんと表情の書き分けはされている。ただ私がおもしろく思うのは、あえて表情を乏しく描いているように見えるコマがあることで、そういうときにはキャラクターの意識の流れが、ふきだしを用いない、内的な台詞として書かれているのである。たとえば先に紹介したさわ子さんの箇所がそうだ。結婚について考えながら、彼女は食卓に並んだおかずをつつき「これおいしい!」などと口にしている。このキャラクターの内外の乖離が、読者に意外性を与えることになっている。表情からはわからない一語が、キャラクターから繰り出されることになるからだ。
本書ではキャラクターの顔のアップが、効果的に用いられている。少しずつズームになっていったり、引きの絵の連続の中に一コマだけ挿入されたりする。意識と表情とが分離させられた絵柄が、十二分に活用されているのだ。「結婚しなくていいですか」の答えは「うん、いい」なのか、それとも「それはどうかな」なのか。どちらにしろ、作者は無駄に力むことなく淡々と考えを書いている。すーちゃんの無表情な顔はクールともとれ、「結婚するかしないか、なんてことでこの世の終わりみたいに騒ぐのは、それはそれでどうか」と言っているようにもみえるのが、私にはおもしろいのである。