大学受験のために、彼女とともに東京へ。ふたりして、ユースホステル(だから部屋は別)に泊まり、受験に臨んだ。僕の結果はまだだが、彼女は落ちた。一人で今日帰る、という。浪人する場合は地元の予備校に通うというのが、彼女の親との約束だ。ユースホステルを出て、ふたりで原宿へ行き、クレープを食べて、輸入ジーンズの『シカゴ』を覗き、『ムラサキ』でフリスビーを買って、YMOの『ライディーン』やノーランズの『セクシー・ミュージック』で『踊る竹の子族』を見て、彼女は一人で帰った。
翌日、僕は受かった。
1981年、僕は18歳で、東京で一人暮らしをはじめた。
…『東京に門前払いをくった彼女のために』と題された一編からはじまる、短編集『ブルーベリー』は、重松清の青春時代の体験に基づく小説であるようだ。
こうして、東京での生活がスタートし、僕は様々な人たちとの出会いや別れを繰り返しながら青春時代を送ることになる。
女の子にフラレっぱなしの大学の親友・梶本。
酒の飲み方や贅沢ということの意味を教えてくれた5歳年上のトモさん。
牛丼・麻雀・パチンコ・お酒を1日で満喫して、翌日アメリカへ留学していったクラスメイトのカヨちゃん。…
こんなふうに書いてみるともうおわかりと思うが、誰もが「自分」の体験と二重写しにして読んでしまわずにはおれない「僕」の物語である。
重松清は1963年生まれなので、この世代近辺の人たちには、鼻の奥がツンとなる懐かしい言葉もふんだんに出てくる。『ふぞろいの林檎たち』『ボートハウスのトレーナー』『マッケンロー』『羊をめぐる冒険』『気まぐれコンセプト』…
最後の一編『ザイオンの鉄のライオン』は1981年冬の物語。僕は塾のアルバイト講師として『ボブ・マーリー』好きの出来の悪い高校生タケシに手を焼いている。タケシは、駅前に出没するレゲエのおじさんとともに、おじさんの故郷である青森へ「親父の財布からギッてきた」金で行こうとする。いまの自分は「バビロン」にいる。だから「ザイオン」に行くのだ。ある冬の夜、駅前で僕は寸でのところでタケシをつかまえた。「やめろよ! 先生、放せよ! バカ、てめえ、ぶっ殺すぞ!」
タケシは駆けつけた両親に家へ連れ戻された。
『ザイオンの鉄のライオン』とはボブ・マーリーの曲「アイアン・ライオン・ザイオン」。「僕はそれを聴くたびに、タケシと、あの夜のたてがみのような髪を思いだす」のだ。そして「タケシはザイオンを見つけたのだろうか」
「ザイオン」は「シオン」、安息の地。対して「バビロン」は捕われの地。
いま、私たちが「ザイオン」にいるのか「バビロン」にいるのかはわからない。個々人によって、様々であろう。ただし、誰もが青春時代においては、間違いなく「ザイオン」にいた瞬間があるはずだ。作中のタケシだって、きっとその後に「ザイオン」を見つけたに違いない。いまにしてその時代を思えば、もちろん「ブルーベリー」のように甘酸っぱい。
「思い出の中のブルーベリーは、甘さよりも酸っぱさのほうが強い。かすかに、苦みも混じっていた」という重松清の一節に、この短編集がもたらす気分が表現されている。いつもながら、重松清のうまさには舌を巻かされます。