事件の容疑者に迫るレポーター、手持ちのカメラによるガタガタした映像…。さながら、ワイドショーを見ているかのような錯覚に陥りつつ、具体的にいえば2006年に秋田で起きたあの事件を彷彿とさせながら、物語は始まる。
まるで舞台装置のような現場だ。都心から遠くない渓流の美しい町の奥、砂利敷きの広場をコの字に囲むように建っている30戸ほどの平屋。どれも古く、軒先には錆びついたプロパンが設置されている。
そのうちの1軒、母一人子一人の母子家庭である立花里美の4歳になる息子の遺体が2週間前に渓谷で発見された。容疑者は母である里美。息子が邪魔になって、殺害したのではないか。砂利敷きの広場には報道陣の車が張り付いている。日差しが眩しい夏。
ここまでは、読者はワイドショーの視聴者でいられる。
この物語の主役は立花母子であろうかと思われたのも、ほんの束の間。やがて隣りに住む夫婦と思しき男女に、物語のカメラは切り替わる。男は、尾崎俊介。付近の工場で契約社員として働き、休みの日には小遣い稼ぎとして、少年野球の臨時コーチを勤めている。女は、かなこ、という名だ。
ここにもう一人、この事件を報道する側の人間、中堅の出版社の記者、渡辺一彦が登場する。
物語の大まかな背景は以上。ここから先は、渡辺が尾崎とかなこの過去の驚くべき秘密を探り出す話となる。
そしてここからは、物語が手を延ばせば届きそうなところへグッと迫ってくる。読者は舞台となっている平屋のどこかに住んで、渡辺が姿を現すたびに進行する物語を、息を潜めて目を凝らしてじっと見つめることになる。
まず、この転換の鮮やかさだ。子殺しの話と思わせておいて、たまたま隣りに住んでいる者の、事件への当惑が描かれたとして、そうじゃない、その二人にはなにかがありそうだ、と展開していく意外性に、目は釘付けとなる。
この後、二人の物語は過去と現在を往還しつつ、やがてその関係が明らかになってゆくのだが、吉田修一の手際はまさに見事。緊張感は一瞬たりとも途切れることなく最後まで続いてゆく。
そして、尾崎とかなこの、どうしても逃れられないあまりにも重い屈託を抱えているとおぼしき様子が読む者へもズシリとのしかかる。目には見えなくても明らかにまとっている様が見える、身体の周りの暗く重い屈託。だから誰にもその心のうちに触らせないし、触れない。よく見ると、二人の間でさえ、そうなのだ。さらに渡辺も、そんな人間だ。過去からの屈託を脱ぐことができないでいる。だから、尾崎とかなこのことが気になってしょうがない。この三人の描き方も、冗長なところなど一切なしの見事な切り詰めぶりであり、物語の進行によって少しずつ過去が描かれることにより、読者は次第にその屈託を自分のものとしてますます重く深く感じてしまうはめになる。
テーマは、オビにもあるとおり、人間の「業」だ。これ以上書くわけにはいかないので、この驚愕の物語は間違いなく読むべき作品であるとだけは書いておく。尾崎とかなこから発せられる、あまりにも重い言葉に、僕は何度か凍りつかざるを得なかった。そして読み始めたらもはや止めることなどできず、じっと身を固くしたまま、約200頁を4時間半ノンストップで一気に読んだ。そうさせてしまう勢いに満ちた作品、である。